羽生選手 平昌五輪 一夜明け会見(動画あり)

今日、英語と日本語でJOCの会見が行われましたが、日本語部分だけスポーツナビでUPされていたのであげておきます。

羽生「モチベーションは4回転アクセル」連覇から一夜明け、今と未来を口に(20180218 スポーツナビ)

 平昌五輪フィギュアスケート男子シングルで66年ぶりとなる連覇を達成した羽生結弦(ANA)が18日、一夜明けメダリスト会見に臨んだ。

 16日のショートプログラムは111.68点で首位に立つと、17日のフリーでも206.17点をマークし、合計317.85点で2位に10点差以上つける優勝となった。

 会見では金メダルを手にした現在の心境や今後の展望などについて語った。

やりたいことは「やっぱりスケート」

――一夜明けて、金メダルを首に掛けた今のお気持ちを教えてください。

 まず、ソチ五輪の時とは違って、非常に非常にたくさんの思いを込めて、この金メダルを取りにいきました。そして最終的に自分が思い描いていた結果になり……自分が思い描いていたメダルを掛けていることが本当に幸せです。

――一般的にスポーツでは人間力が競技力に結びつくと考えられていますが、旅や勉強など、競技以外でこれから挑戦してみたいことは?

 とりあえずまだスケートをやめる気はないです。でも、先ほども言ったように夢がかなったという気持ちはありますし、やるべきことはやれたなという実感もあります。すがすがしい気分でもいます。ただ、言ってみれば、まだやりたいことはスケートの方では残っています。スケート以外のことで何か(やりたいこととして)話せることと言えば……(しばらく考える)一応、今考えましたけれど、一周回ってきてやっぱりスケートのことだったので(笑)。本当に今まで人生をスケートにかけてきて良かったと心から言えますし、これからももうちょっとだけ、もうちょっとだけ自分の人生をスケートにかけたいなと思っています。

――フィギュアスケートでもう少しやってみたいということは、4回転アクセルもあると思いますが、それも含めてどういったことか教えてください。

 質問にも出たように4回転アクセルはやりたいなと思っています。それは、前人未到だからとかでは……多分小さいころの自分だったら「前人未到だから」と言うと思います。でも今の気持ちとしては、自分にとって最後の最後に支えてくれたのは、トリプルアクセルですし、やはりアクセルジャンプにかけてきた思い、時間、練習、質も量もすべてがどのジャンプよりも多いですし。何よりも僕の恩師の都築(章一郎)先生が言っていた言葉が、「アクセルは王様のジャンプだ」と言っていたので。そのアクセルジャンプを自分は得意として、そして大好きでいられることに感謝しながら、4回転アクセルを目指したいなと思ってはいます。

引退後は「選手の手助けをしたい」

――「夢がかなった」とおっしゃっていますが、ソチ五輪の後に「こうやっていこう」といった青写真を描いていて、その通りいったのかどうか。また、もう少しスケートに捧げるということですが、終わった後はスケートコーチになりたいのか、学者になりたいのか、どういったことをやりたいのか教えてください。

 まず、キャリアを終えてから自分のやりたいことを。僕は、まだまだ英語はへたくそだし、もっと勉強しなきゃいけないこともありますし、もちろん日本でも学ばなければいけないことがたくさんあると思いますが、世界中でいろいろなところを回りながら、スケートで本気で1位になりたいと思っている人に何か手助けをしたいなと思っています。

 僕は幸いにも日本で最初に練習して、最終的にはカナダで練習することになって、いろいろなことを学べましたし、何よりも現在のフィギュアスケートの技術や演技といった分野の中で、幸いにも一番上のところに来たと、胸を張って言えるので、そういった経験をみんなに伝えるお仕事ができたらなと思っています。それはコメンテーターなのかもしれないけれど、テレビというよりは直接、選手の手助けをしたいと思っています。

 4年前から今日までという質問の方は、全然ですね(笑)。19歳の時に(金メダルを)取った、あれからすぐに世界選手権があって。あの時、一番覚えているのは、メディアでもいっぱい取り上げられて、自分もいっぱい見たので覚えていますが、「一番最初にしたいことは何ですか?」(というメディアからの質問に対して)「練習、サルコウの練習」と言いました。フリーのリベンジがしたくて臨んだ世界選手権で、サルコウの練習ばかりをしていたら、ショートで絶対の自信を持っていた4回転トウループでミスをしてしまって、非常に悔しかった。そしてフリーで何とか挽回して優勝できた。そういう記憶があります。

 その1番最初の試合から、(頭を負傷した)中国杯があって、そして手術もあって、ねんざをし……本当にケガと病気と、そういったものにずっと苦しみながらこの4年間をずっと過ごしてきたわけですけれど、それは思い描いていなかったですね。はっきり言って、思い描けなかったですし(笑)。でも、正直に言えるのは、こうやってもし、何もなくてこのNHK杯でケガをするまで本当に順風満帆(まんぱん)で何もなくて、うまくいっていたとしたら多分五輪では金メダルを取れていないです。やっぱり、そういういろいろな経験があったからこそ、いろいろな勉強ができたし、いろいろなことを学べたし、それを生かせたのが今回のケガからの復帰だと思っています。

右足の治療に「専念できる時間が取れたら」

――4回転アクセルに挑戦したいとのことですが、(負傷した)右足への負担は怖くないのか。また、どれくらいで習得できると現時点で想定していますか?

 右足の負担は正直に言って、大きなものになるとは思っています。実際にここまでくるにあたって、4回転ループが跳べたのが(平昌に)移動する前日。4回転ルッツに関してはまったくやらず、3回転ルッツが跳べたのも本当にギリギリだったので、痛みとの戦いの中、何とか……何とか跳べるようになったジャンプだったので。これからそのジャンプをどうしていくかは分からないですけれど、4回転アクセルに関しては右足の状況を見ながら習得を目指していきたいなと思ってはいます。

 正直に言ってしまうと、やっぱり今、若干満足しているので、自分に。きっと多分、今幸せだからきっと不幸がたくさん来て、きっとすぐにまたつらい時期が来るんだろうなと思っています。ただ、それはきっと次の幸せのためのステップだと思うので、ケアも治療もリハビリも、すごくすごくつらい時だというのは分かりますけれど、そういうものに専念できる時間が取れたらなと思っています。

――もうちょっと滑りたいという中で、次に進むモチベーションはすぐに出てくるものでしょうか? ソチ五輪の時はまったく休まずに次のシーズンから、この連覇に向けての挑戦を続けてきましたけれど、この後のご自身は休むという選択肢はなく続けるつもりでしょうか?

(右)足首次第です。(今大会でも)本当に痛み止めを飲んで、注射を打てれば本当は良かったですけれど、注射が打てないような部位であって、痛み止めを何とか飲んで、という感じだったので。はっきり言って今、(足首の)状態がちょっと分からないです。ただ、はっきりと言えることは、痛み止めを飲まない状態では到底ジャンプを下りれる状態でもないし、跳べる状態ではないということは分かっています。なので治療の期間がほしいとは思います。ただそれが、どれくらい長くなるのか。アイスショーとの関連もありますし。せっかく金メダルを取ったからこそ、いろいろな方々にすぐに伝えたい、すぐにみんなが笑顔になってもらえるような演技をしたいとも思っているので、そこは前向きに検討はしていますが、競技としてということを考えると、ちょっとやっぱり治療の期間が必要だなと思っています。

 モチベーションに関しては、スケートをもうやめたいということはまったくないです。何よりモチベーションはすべて4回転アクセルだけなので。もう取るものは取ったり、やるべきこともやったと思っています。後は、小さかった頃に描いていた目標、夢じゃなくて目標をかなえてあげる。それだけかなと思っています。
「誇りを持って金メダリストになれた」

――ケガをしてからは足の状態はどんな状態で、どこまで回復したのでしょうか。この3カ月間、どのような心理状況だったのか教えてください。

 ケガの状態については、はっきり言って詳細がよく分からない状態です。検査もちゃんとしたんですけれど、もともとじん帯が損傷してしまっていた部位、またその時(ケガをした瞬間)にやってしまった方向があまりにも複雑すぎて、簡単には(状況が)分からなかったというのもあり、いろいろな痛みが出てきてしまって、正直言ってどれがどこまで痛んでいるか、何の治療が最適なのか、ちょっと分からない状態です。まぁ、これくらいにしようかな(苦笑)。

 3カ月間のメンタルに関しては……うーん、何て言ってほしいですか(笑)。特に自分の心から、自分の頭が先導でネガティブな方向に引っ張られることはなかったですけれど、環境、状況、状態、条件、そういった外的要因に、すごくネガティブな方向に引っ張られました。やっぱりそれだけスケートにいろいろなものをかけたし、いろいろなものを捨てたし、スケートだけでいいやって本当に思っているので。だから、「あ、これでスケートをやめなければいけなくなったらどうしよう」とまでも思っていましたし、今もどうなるか分からない状態なので。ちょっと複雑な状況でした。

 ただ、こういう質問で終わるのも何なんで……うん、やっぱ、ね、明るい話なので、僕の場合は。こうやってスケートを滑れて本当に幸せです。五輪マークがあって、こんなにたくさんの方々に応援してもらえて、本当に本当の気持ちは、嫌われたくないってすごく思うし、いろいろな方に見られれば見られるほど、いろいろなことを話せば話すほど嫌われるし(苦笑)、いろいろなことを書かれるし、うそみたいな記事がこれからもっともっと出てくるんだろうなと思います。ただ、僕が話したこと、僕が作ってきた歴史、それは何ひとつ変わらないですし、自分の中で今回は誇りを持って、本当に誇りを持って五輪の金メダリストになれたと思っているので、これからの人生、五輪の金メダリストとして、しっかりまっとうしたいと思います。ありがとうございました。


動画はこちらです。

2018 02 18 日本オリンピック委員会(JOC) 羽生結弦選手会見



羽生結弦のファンになって6年。その間、アップダウンの激しいジェットコースターのような競技生活をずっと見守ってきたので、ずいぶんこちらのメンタルも鍛えられました。でも、いつも試練を乗り越えてきた彼の姿も見てるから、絶対大丈夫だとも信じられるのです。彼もそれを自覚していて、「きっと多分、今幸せだからきっと不幸がたくさん来て、きっとすぐにまたつらい時期が来るんだろうなと思っています。ただ、それはきっと次の幸せのためのステップだと思う」って・・・なんかもう、23歳にして達観してる感が・・・。いや、そりゃあんだけ不幸と幸福が繰り返しやってくる人生を経験したら、今が幸せなほど、今度くる不幸の揺り戻しが怖くなるよね。本当いうと、私も、結弦くんが順調だと、それはそれで不安になるもん。また何か起こるんじゃないかって。それも、シーズン前半ならまだしも、後半におこること多いしさあ。万全な状態でワールド迎えられたことの方が少ないから、毎シーズン、ワールド近づくとドキドキするの(汗)

でも、もし彼がソチ五輪以降、順風満帆でこの4年間を過ごし、ただ強いだけの絶対王者だったら・・・彼はこれほどまでに絶大な求心力のあるカリスマにはならなかったかもしれない・・・とも思う。

北京五輪のことなど、いまは考えられないでしょう。足もいつ完治するかわからない。
アイスショーには前向きなようですが、競技となると違ってくる。本当は、エキシビションも滑らなくても・・・と思ってしまう。リッポンみたいに、滑らずに歌ってくれてもいいのよ?(笑) なんなら、ファンタジーオンアイスも、歌とトークショーだけでもいいのよ? 滑らなくてもいい。姿を見せてくれたらそれで十分です(笑)

そして、なにより心打たれたのは、最後の部分。

本当に本当の気持ちは、嫌われたくないってすごく思うし、いろいろな方に見られれば見られるほど、いろいろなことを話せば話すほど嫌われるし(苦笑)、いろいろなことを書かれるし、うそみたいな記事がこれからもっともっと出てくるんだろうなと思います。

結弦くんはメンタルが強いといわれてるけど、同時にとても繊細な子です。下げ報道をされ、事実無根の記事を書かれ、アンチにはバッシングされ・・・たった一人でそれらを受け止めてきた。今シーズンは重症の怪我まで抱えて。
この方のツィートにとても共感しました。



結弦くんて、本当に過去に前例のない存在なのです。日本のスケート界で、彼のポジションに辿りついた人は誰もいない。だから、彼はとても異質な存在で、彼の位置から見える風景は、日本では誰も見たことのないもの。にも拘わらず、あーだこーだと、自分の基準で結弦くんを語ろうとするから、的はずれなものになる。小塚さんも、ショートの後、「彼はいい意味で常識が通じない」と認めたようですが・・・この二連覇で、結弦くんはますます理解不能な存在になってしまったかもしれない。
そんな中、荒川さん、本田さん、織田さんは、彼に寄り添ったコメントをしてくれていたと思います。

この会見で、ナショナルフットボールリーグに9年在籍していたという記者が、「かつて一度もファン達からこれほどの情熱のこもったレスポンスをされる人を見た事がない」と結弦くんに言っていたそうですが、常人には理解できない才能と、桁違いの数の熱狂的なファンをもったアスリート。絶大な求心力と同時に、嫉妬の混じった反発心をも買ってしまうのは仕方がないのか。

引退後は、テレビの仕事より、直接選手を手助けしたいという発言も、彼らしいと思います。昔は解説者をしたいといっていたのに。もしかしたら、長年のメディア不信もあるのかな?と思ったり。オーサーは、最近のインタでも、ハビと結弦くんが望むなら、引退後もずっと手元においておきたいようなことを言ってるようです。アイスショーで世界を回りながら、クリケットでコーチしてもいいんじゃないかしら。オーサーにとっては、息子みたいな二人だものね。そういや、文春で「羽生結弦 オーサーとの愛憎6年」とかいう見出しの記事がありました。オーサーとの和やかな雰囲気をみたことないのかしら。

なお、英語の質問で答えた、好きなスケーターは、エフゲニー・プルシェンコ、ジョニー・ウィアー、ステファン・ランビエール、ハビエル・フェルナンデス、ディック・バトン。増えてる(笑)
プーの山は、スケ連に寄付し、いくつかを思い出にもって帰るそう。結弦くんに選ばれて、お持ち帰るしてもらえるプーさんは、きっと前世でたくさん善行を積んできたのね。私もプーさんになりたい(笑)


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2018/02/18 19:40 | 平昌オリンピックCOMMENT(14)TRACKBACK(0)  TOP

昨日、弓弦羽神社にお礼に行ってきました♪

昨日の記事にも書きましたが、弓弦羽神社にお礼に行ってきました。
ゆづファンらしき人達もわりと多かったように思います。


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お参りをして、お礼の絵馬を奉納しました。
ご朱印をいただきました。後日ではなく、あえて「この日」だったのは、「この日」の日付のご朱印がほしかったから。今シーズンに入ってから、オータムときは晴明神社で、ロステレのときは弓弦羽神社でご朱印もらっていました。オリンピックの優勝が決まった日のご朱印は絶対もらいにいこうと、だいぶ前から決めていました。


20180217弓弦羽


高級住宅地にある、おそらく地元の人達しか訪れなかったであろう弓弦羽神社が、結弦くんのおかげで「羽生ファンの聖地」として全国的に有名になり、日本全国はおろか、海外からもファンが訪れるようになりました。
宮司さんは、「絵馬の7割くらいが羽生選手のファン」とテレビで言っておられましたが、宮司さん、ちょっと見栄をはっておられると思います。普段でも、どうみても8割以上羽生ファンの絵馬だし、五輪シーズンになってからは95%くらい羽生ファンの絵馬で、他の願いごとの人が掛けにくいような雰囲気すら漂っています(笑)

ショートが終わった後、テレビ局が弓弦羽神社に取材にいっていて(それにしても、テレビ局も弓弦羽に取材にいきすぎ)、宮司さんに結果を知らせると「ホッとしました」みたいなことを言っておられました。思うに、これだけ祈祷班が大挙して訪れるようになると、弓弦羽神社さんも、けっこうプレッシャーだったのではないかと思います。宮司さんの「ホッとした」というのは、思わず漏れた本音だったのかなと(笑)

私が初めて弓弦羽神社を訪れたのは、ソチ五輪直前の2014年2月1日でした。
興味のある方はこちらの記事をどうぞ
そのときもご利益がありました。弓弦羽神社さんも二連覇ですね(笑)


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昨日、断酒を解禁して「弓弦羽」で祝杯をあげました。ラベルはもちろん金色です♪


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2018/02/18 12:05 | 平昌オリンピックCOMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

羽生選手、県民栄誉賞授与へ&国民栄誉賞も?

情報の激流で、何をとりあげていいのかわからない状態です(汗)
これから徐々にあげていきたいと思っていますが、とりあえず、この話題から。


<平昌五輪>羽生選手へ宮城県が県民栄誉賞授与へ(20180218 河北新報)

 宮城県は17日、平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で2大会連続の金メダルを獲得した仙台市出身の羽生結弦選手(23)に県民栄誉賞を授与する方針を固めた。2014年のソチ冬季五輪に続く授与で、2度の県民栄誉賞受賞は初めてとなる。

 県民栄誉賞はスポーツや文化など、世界的な大会で顕著な成績を収めた場合に対象となる。県は羽生選手が五輪直前に右足首を負傷した困難を乗り越え、県民に勇気や感動を与えた功績を高く評価した。

 授与式の日程は未定。県は羽生選手の快挙を祝うパレードも実施する見通し。本人の意向を踏まえて判断する。ソチ五輪の際はメダル獲得から約2カ月後の4月に仙台市中心部でパレードがあり、約9万2000人のファンが駆け付けた。

 県民栄誉賞は1990年に創設され、これまで1団体、8人が受賞している。



羽生に冬季五輪選手初の国民栄誉賞も 安倍首相直電で「誇りに思う」(20180218 スポーツ報知)

 平昌五輪のフィギュアスケート男子で優勝した羽生結弦(23)に国民栄誉賞授与の可能性が浮上したことが17日、分かった。決定すれば、冬季五輪の金メダリストとしては初めてとなる。同種目での五輪連覇は66年ぶりとなる偉業であることに加え、2020年の東京五輪に向けてスポーツ界を盛り上げていきたいという政府の狙いもあるとみられる。この日、安倍晋三首相(63)は羽生に祝福の言葉を贈った。

 “ぶっつけ本番”で臨んだ五輪の舞台でキッチリ結果を出し、連覇を飾った羽生に、国民栄誉賞が贈られる可能性が出て来た。

 これまで、五輪の金メダリストに国民栄誉賞が贈られたのは1984年のロス五輪・柔道無差別級の山下泰裕さんら4人。その全員が夏季大会の日本代表で、冬季競技の選手は実現すれば羽生が初めてとなる。過去の受賞者は、いずれも達成困難な偉業を成し遂げた選手ばかりだが、羽生の同競技の連覇も48年サンモリッツ(スイス)、52年オスロ(ノルウェー)のディック・バトン氏以来、66年ぶりで、十分その「選考対象」に入ると考えられる。

 決定すれば、自身の内閣では7人目の授与となる安倍首相はこの日、都内の自宅前で羽生の金メダル獲得について「大きなけがを乗り越えてのオリンピック連覇は素晴らしい。本当に感動した」と記者団に述べた。その後、都内の私邸から羽生に電話し、「困難を乗り越え多くの人に勇気を与えた。日本人として誇りに思う」と祝福した。

 政府としては、平昌五輪から19年に日本で開催されるラグビーW杯を経て、20年の東京五輪・パラリンピックでスポーツの盛り上がりを頂点に持っていきたいと考えており、授与は格好のタイミングとなる。

 今大会では銀メダルが続いていただけに、国民の多くが待ち望んでいた初の金メダルということも後押しして、羽生の優勝は大きな注目を得た。週明けにも本格的な検討が始まるとみられる。

 ◆国民栄誉賞 広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった人物、団体の栄誉をたたえる賞で1977年に創設。内閣総理大臣による表彰のひとつで、民間有識者の意見を聞いた上で決定する。慣例として100万円相当の物品が副賞として贈られる。第1号は同年9月のプロ野球・元巨人軍の王貞治さん。これまでスポーツ、文化、芸能関係者25人(うち12人は没後受賞)と1団体(2011年サッカー女子W杯日本代表)が受賞している。



ソチのときも授与されてるので、これで2回目ですね。23歳ですごいとしかいいようがありません。

以前から、五輪二連覇したら国民栄誉賞を与えられるのではないかと言われていました。ソチ五輪のときも安倍政権下。そして二連覇もまた・・・ということで、国民栄誉賞はそのときの首相の気分次第とか言われていますが、安部さんもダブルで感動をもらったということで、授与は濃厚なのではないでしょうか。23歳で授与となったら、最年少かな? また重いものを背負ってしまうような気もしますけど、彼以上にその栄誉に相応しい人はいない。


今日の新聞。読売、産経、朝日、毎日、日刊、サンスポ、スポニチ、報知、デイリー。
スポニチには、SEIMEI衣装の大判のお写真ありです。

20180218一般紙

20180218スポーツ紙


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2018/02/18 11:10 | 平昌オリンピックCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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