羽生選手の週刊誌報道とCWWについての良コラム2つ紹介します
結弦くんについての良質のコラムがふたつほどありましたのであげておきます。
羽生結弦が週刊誌報道に「死のうと」理不尽な心の痛みを吐露(20180418 WEZZY)
2014年ソチ五輪、2018年平昌五輪のフィギュアスケート男子で金メダルを獲得した羽生結弦選手(23)が、4月13~15日、自身の初プロデュースのアイスショー「Continues~withWings~(コンティニューズ ウィズ ウイングス)」を開催した。
エフゲニー・プルシェンコやジョニー・ウィアーなど羽生結弦選手との「つながり」が濃いスケーターが集まり、演技を披露するという催し。しかし昨年11月に右足首を負傷していた羽生選手は、平昌五輪後にリハビリ・静養に入り、3月の世界選手権は欠場。当然このアイスショーもトークのみの出演予定だった。しかし、右足首の経過が良好なため、ファンにはうれしいサプライズ演技も披露するという大サービス。ジャンプこそ飛ばなかったが、人気プログラムを滑り、会場は大いに盛り上がったという。そしてフィナーレを迎えた15日、羽生選手の口からは「何回も死のうともしました」と衝撃的な言葉が出た。
「一時期、週刊誌の問題とか色々あった時に『なんで僕生きているんだろう』って。何回も死のうとしました。でもね、やっぱり、みんなこうやっていっぱい応援してくれてるし、何よりも僕が幸せなのは、自分が憧れている方々が、みんな自分にメッセージをくれて。『ゆづは大丈夫だよ』ってコメントをくれて、本当にありがたかったし、スケートをやっててよかった。本当に、今は生きててよかったなって思ってます」
10代の頃からフィギュアスケート選手として注目され、ソチ五輪、平昌五輪で66年ぶり五輪2連覇の快挙を成し遂げた羽生選手だが、金メダル獲得後の記者会見でもやはり、週刊誌などの記事に対する不快感や葛藤をコメントしていた。アスリートでありながらアイドル的人気を得ている羽生選手を追いかけることは、マスメディアとしては当然なのかもしれないが、彼がもう何年も心を痛めながら活動してきたことは自明だ。
2012年の世界選手権で銅メダルを獲得した17歳の頃は「メディアは多くの方々に自分の声を届けていただける場」と語っていた羽生選手だが、2014年ソチ五輪で金メダル獲得後はマスメディアによるアイドル扱いが過熱し、2016年1月には元同級生女性との婚約・妊娠・中絶といった“デマ”まで報じられた。この熱愛記事を羽生選手は会見で全面的に否定。このことは著書『蒼い炎II-飛翔編-』(扶桑社)でも触れられており、<身に覚えのない報道が出たりして人間不信みたいになっていた>と記されている。
平昌五輪を控えた昨年11月、公式練習で右足を負傷してからも、右足の状態やコーチとの関係についての憶測めいた報道が後を絶たなかった。平昌五輪で金メダルを獲得し一夜明けた2月18日の記者会見の最後に羽生選手は「ほんとのほんとの気持ちは嫌われたくないってすごい思うし、色んな方に見られれば見られるほど、色んなことをしゃべればしゃべるほど嫌われるし(笑)、色んなこと書かれるし、なんか嘘みたいな記事が多分これからもっともっと出てくるんだろうなって思います」と語っている。
羽生選手はひとりで競技に臨んでいるわけではない
最近では、オフシーズンである春夏に開催されるアイスショーへの出演を巡って、「人気者・羽生結弦にどうしても出演してほしい」スケート連盟と、「怪我の回復に努めたい」羽生選手とで、確執が生じているという記事もあった。スケ連との確執については五輪前も喧しいものがあったが、五輪が終わってもまだそうした見方が消えないのである。
5月のアイスショー「ファンタジー・オン・アイス」に関しても、ひと悶着起きているという週刊誌記事が出ていた。「週刊女性」2018年4月24日号(主婦と生活社)では、羽生選手のアイスショー出演を巡って「羽生サイドと運営側との間で騒動が勃発」と報じていた。羽生選手の専属トレーナーや母親は怪我の治療を最優先すべきとして「アイスショー出演に反対」、他方、羽生選手が所属しているANAスケート部の城田憲子監督は「アイスショーへの出演を熱望している」という内容で、両者は対立しているということだった。
結果的に今回の「Continues~withWings~」では、羽生選手はジャンプなしで演技を披露した。4月13日のショー後にスポーツ紙のインタビューに応える形で、右足の状態は五輪前より良くなっており、「スピンだとかステップには痛みとしてだけではなく支障が出ないような状態になっているので、リハビリの段階として氷上でステップやスピン、体力トレーニングをしています」と羽生選手は話している。今回のアイスショーで滑る決断をしたのも、安静期間を終えて氷上に立ち、ステップやスピンを確認した時に痛みがないとわかったためだ。強制され、無理を押してリンクで滑ったわけではないことは確かだろう。
羽生選手は練習拠点をカナダ・トロントの老舗スポーツクラブに置き、ヘッドコーチのオーサー・ブライアン氏をはじめとする各分野の専門家を結集した「チーム羽生」の元で練習を行っている。今回のアイスショーも、羽生選手本人や「チーム羽生」の専門家たちが意見を出し合った結果、右足に悪影響を及ぼさないだろうと判断してプログラムの実施に至ったと考えられる。個人競技であるフィギュアスケートシングルだが、少なくとも現在の羽生選手はただ一人で、あるいは母子で闘っているわけではなく、専門知識と技術を結集したチームで競技に臨んでいる。それゆえ、オーサーコーチとの確執や孤立しているといった内容も含め、様々な週刊誌報道のほとんどが的外れなものだったと見ていいだろう。
深刻な怪我からの回復途中にある羽生選手は、すでに来シーズンにも意欲を見せており、今のところはグランプリシリーズからの出場を考えているとのこと。五輪2連覇を達成した羽生選手が、今後目指したいのは「自分の気持ちに正直」な演技とのことで、ファンならずとも来シーズンが待ち遠しい。
羽生結弦のあまりに深いスケート愛。アイスショーで語った仲間と幸福。(20180419 Number Web)
その舞台は、それぞれの人にとってフィギュアスケートがいかなる存在であるかを感じさせる時間だった。
4月13日、武蔵野の森総合スポーツプラザ。羽生結弦が自身初めてプロデュースした「Continues ~with Wings~」(コンティニューズ・ウィズ・ウィングス)が幕を開けた。
「これまでたくさん応援してくださったファンの皆様へ、 感謝の気持ちを込めて凱旋報告いたします」という趣旨で開催されたショーの冒頭、挨拶に立った羽生はタイトルに込めた思いを語った。
「僕が今まで生きてきた中で、またスケートをしてきた中で、すべてが自分の人生、スケートに受け継がれていると思いますし、たくさんのことが自分に継承されて、ここまできているんだなという思いから、自分が大きなつながりを持った方々、そして偉大なスケーターの方々にオファーし、このショーをやらせていただくことができました」
参加したのはエフゲニー・プルシェンコ、ジェフリー・バトル、シェイ=リーン・ボーン、ジョニー・ウィアー、川口悠子&アレクサンドル・スミルノフ、無良崇人、佐野稔。
その1人ひとりと深いつながりがあることは、スケーターが登場するごとに放送された羽生の紹介映像メッセージからも伝わってきた。
「僕のジャンプの面倒を見てくれた」
無良のときには、こんなエピソードを披露した。
「僕のジャンプに関して、いちばん面倒を見てくれた先輩、無良君です。僕と無良君のジャンプってすごくタイプが違って、僕はどちらかというと繊細、タイミングとか軸とかをすごく重視して跳ぶんですけど、無良君の場合は、力強さとか力を使って跳ぶタイプなので、ぜんぜん違う。
その中でも自分のジャンプをすごく面倒見てくれて、違った視点から見てくれた。まだ自分がトリプルアクセルを跳べて間もない頃、ぜんぜん安定していなかったんですけど、仙台で一緒に練習して、こうやったら跳べる、そういうことを無良君のお父さん、無良君と一緒に教えていただいたことがあります」
羽生のサプライズ登場に会場が熱狂。
佐野のときはこう語った。
「佐野先生が来てスケート教室をやるという話があって、それをきっかけに姉がスケートに行ってスケートを始めて、姉がやったから僕も始めるという感じでスケートを始めた。スケートを始める根本的なきっかけになった人です」
憧れ続けたプルシェンコ、振り付けを依頼してきたバトルやボーン、そして「ロシアに行く姿に勇気をもらった」と言う川口らが次々と登場。佐野と川口は、都築章一郎コーチの教え子でもある。
ゆかりあるスケーターたちの演技、トークショーを交えて公演は進んだ。
何度も大きな歓声と拍手が起こったショーだが、熱量が一気に高まったのは第2部、プルシェンコが滑り終えたあとのこと。暗がりの中リンクへと進んだのは、事前の告知では滑らない予定だった羽生だった。
披露したのは8歳から11歳のときの『ロシアより愛をこめて』、シニア1シーズン目の『ツィゴイネルワイゼン』、そして『バラード第1番』。ジャンプなしではあったが、曲に合わせた動作、振り付けはそれを感じさせない圧倒的な迫力に満ちていた。
「スケーターになれて、ほんとうによかった」
ショーの合い間のトークの中、羽生はこう語った。
「この世界に生まれてきて幸せだなと思いました」
「スケーターになれて、ほんとうによかった」
そのとき思い出されたのは、平昌五輪の記者会見での言葉だった。
「ほんとうの気持ちは嫌われたくないってすごく思うし、いろんな方に見られれば見られるほど、いろんなことをしゃべればしゃべるほど嫌われるし、いろんなことを書かれるし、嘘みたいな記事が、これからもっともっと出てくるんだろうなって思います」
そのとき見せた一瞬の寂しそうな表情が甦ってきた。これまで何度も同様の表情を見せてきたことも。
世界のトップスケーターへと上りつめていく時間の中で、羽生にもときに孤独な瞬間があったのかもしれない。
ショーにどれだけのものを込められるか。
だが、それを拭い去る力になったのもフィギュアスケートだ。
「ショーにどれだけいろいろな物語を込められるか、感謝の気持ちや凱旋報告を込められるかを考えた1カ月間でした」
羽生は終演後にそう語った。羽生自身が出てほしいと願い、一緒に滑りたいと思うスケーターたちと作り上げた時間は、羽生にとっても幸福な時間だったことだろう。
「皆さんにおめでとうという言葉をいっぱいかけてもらえて感謝です」
そしてショーは、次への原動力ともなる。
新たなシーズンについて、多くの試合に出場したいと明かした羽生は、理由についてこう語る。
「今回のショーの中で、スケーターの方々がすごい偉大だなと思ったし、だからこそ自分は未熟だから、もっとがんばらなくてはいけないと感じたというのもあります」
ショーの最中、そして終了後も変わることのない心からの笑顔が、羽生の心境を示しているようでもあり、スケーターとしての幸せをかみしめているようでもあった。
ウィアーが話す、フィギュアの力。
そしてもちろん、このショーを楽しんでいたのは羽生ばかりではない。
トークの中で「スケートの一番好きなところは?」という羽生の質問に、ウィアーはこう答えた。
「フィギュアスケートをすることによって、観客の皆さんを別世界に連れて行く力がある。日常だったり悪いことだったり、もしくはいいことからも離れて別のところへ一緒にいくことができるところ」
まさに、その言葉通りの時間でもあった。
いつまでも余韻が残った会場の空気は、その場を共有した人々の心を伝えるようだった。(文:松原孝臣)
さて・・・CWWのゲストとして、演技を披露された居酒屋・・・じゃない、佐野さんですが、久々のアイスショーで気持ちが若返ったのか、よほど触発されるものがあったのか、齢62歳にしては初めてツィッターのアカウントを作られました。これが初ツィートです♪
歓喜の興奮と極度の疲労で幕が閉じたCWW。あれから3日、足首が腫れてます。年に負けた!でもメチャクチャ楽しかった!22年ぶりの黄色い声援、初めて見るバナーというもの、ゆづ、呼んでくれて有り難う!3日間、夢を見ました。みんな本当に有り難う!!
— 佐野 稔 (@sbk1DhkiYz0u0aT) 2018年4月18日
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2018/04/19 15:05 | アイスショー・イベント | COMMENT(8) | TRACKBACK(0) TOP