菊池氏が語る平昌五輪秘話「立つのがやっと」で掴んだ平昌金

菊池さんを特集した「週刊女性自身」の記事がネットにUPされていましたので、貼っておきます。
「シリーズ人間」を抜粋したものもので、ネット記事は全文ではありません。一部割愛されています。

→ 週刊女性自身 2018年 8/21・28 合併号 [雑誌]


師弟関係15年・専属トレーナー初めて語る羽生結弦からの「SOS」 (20180819 女性自身)
羽生結弦専属トレーナー秘話「立つのがやっと」で掴んだ平昌金(20180819 女性自身)


菊地晃さん(62)は、羽生結弦選手(23)の幼いころからいつもそばにいた。長年、心と体の微妙な不調を読み解くうちに、平昌五輪前には1ミリ単位のズレを調整できるようになった。常にギリギリまで自分を追い込み、ケガのリスクと闘ってきた羽生。菊地さんは彼の不安を打ち消し、リンクで思う存分跳ぶために欠かせない存在になった――。

2度目の金メダルから約半年。頂点を目指し、ともに歩んできた知られざる師弟関係を初めて語る。


静まり返ったアイスリンクにショパンのピアノ曲『バラード第1番ト短調』が厳かに流れてくる。2月16日、江陵アイスアリーナ。平昌五輪の舞台に、羽生結弦選手(23)は帰ってきた。前年11月の負傷以来、約3カ月ぶりのぶっつけ本番の試合である。

ショートプログラム(以下SP)。もの悲しい主旋律に乗って、羽生は流れるように滑り出す。力みのない美しいジャンプ、ステップ。ラストのスピンの回転が止まるころには会場中が総立ちだ。万雷の拍手のなか、観客が投げ入れるぬいぐるみの“プーさんの黄色い雨”がアイスリンクに降り注いだ。

リンクサイドにいた菊地晃さん(62)の目から大粒の涙があふれ出して、止まらなくなった。

「号泣ですよ。あれだけのケガをして、よく痛みに耐えて演技をした。その姿に感激してしまった」

今、そう話す目も潤んでいる。そして、「ちょっとごめんなさいね。思い出すだけで泣いてしまうんです」と恥ずかしそうに、頭をかいた。

菊地さんは、羽生の専属トレーナーとして、平昌五輪に帯同。試合直前、痛みが出ないようにと祈りを込めて、羽生の足首にテーピングを施してきた。

「普通なら立っているのもやっとの状態。絶対に痛いはずなんです。テーピングで痛みが抑えられるわけではありません。靱帯はボロボロ。それをガッチリ固定して、物理的に動かなくするだけです。そんな状態で、あの演技です。ここまでやれる選手に育ってくれたことも、すごくうれしくて……」

五輪はもちろん、世界選手権やグランプリ(以下GP)シリーズで、羽生に付き添う菊地さんの姿は、やけに目につく。失礼ながら、見た目は普通のおじさんだ。スーツやジャケット姿の多いフィギュア関係者のなかで、白髪のオールバックで、ジャージ姿の菊地さんに「誰? このおじさんは」と思う人は多かったことだろう。

ふだんの菊地さんは、仙台市にある「寺岡接骨院きくち」の院長。接骨院には、羽生の専属トレーナーであることを喧伝するような装飾はない。唯一、羽生との関わりをうかがわせるのは、施術所のいちばん奥にあるベッド脇の壁に貼られた、羽生とスタッフが一緒に写った集合写真だけ。

「初めて結弦がここに来たのは小学校2年から3年に上がるころ。近所で練習をしていて、思いっきり足首を捻挫して、お父さんにおんぶされてきました」

そんな出会いから15年余。菊地さんは、羽生の活躍を陰で支え続けてきた。


ソチ五輪シーズンを終えたとき、菊地さんは羽生にこう言われた。

「日本の大会ではお世話になるけど、海外では、あっちの(カナダの)先生に見てもらっていい?」

ところが、’14年11月、上海でのGPシリーズ中国大会を1週間後に控えて、菊地さんの携帯にLINEメッセージが届いた。羽生からだった。

《先生、どうしよう》
《なんだ?》
《あのね、先生。上海に来られない?》
《ほかの先生が帯同するんじゃなかったのか?》
《う〜ん、あのね……足首やっちゃった。先生、来て、治療してくれない?》

「この言い方が、アイツのかわいいところなんです。本音は『ふざけんなよ、今ごろ』ですけどね」

悪ぶってみせる菊地さんだが、実際は、専属トレーナーを離れていた期間も、羽生に適したアップを模索し続けていたのだった。中国大会以降も、菊地さんは「チーム結弦」のメンバーとして献身的なサポートを続けることになる。

大会に何度も帯同するうちに、ジャンプを踏み切る瞬間で、羽生の調子がわかるようになった。

「いいときの結弦のジャンプは、真っすぐ上に跳びますが、調子が悪いと、ジャンプに入る足の角度がバラバラです。その微妙な違いを修正できるかは、本人の問題。でも、その違いを見極めることが、トレーナーには重要なんです」

テーピングも、その日の演技に大きく影響する。

「だから、僕は部屋に入ったときから、結弦の様子を見ていきます」

「先生、いつもありがとう」と答える羽生は、平常モード。黙っているときは、何か問題がある。テーピングしていても、「もう少し上、もう少し強く」と、注文が多い。しかも、ミリ単位の違いを羽生は感じているという。

「もう少し上、といっても1ミリくらいの違いです。すごい感覚をしていますよ。試合ごとに、結弦の感度はどんどん高くなっていきました。あれだけ練習しているわけですから、体が万全ということはありません。だから、僕の仕事は、結弦が足の先まで自分で思い描いた感覚に近づけるために、テーピングで修正することです」

的確なテーピングができるのは、8歳のころからその足に触り続けた菊地さんだからだろう。


「アップで、体のブレを直し、キレを調整して、試合に送り出す。とはいっても、これだ! と、満足してリンクに送り出したことは、数えるほどしかありません」

'15年、世界最高得点322.40を記録したNHK杯と、それを更新し、330.43をたたき出したGPファイナルの2回だけだという。'17-'18年の五輪シーズン。菊地さんは9月のオータムクラシックを前に、羽生に呼ばれた。

「その時点で、結弦の足はボロボロでした。五輪2連覇を目指すプレッシャーで、夏場に追い込んで、体を酷使したんでしょう。膝関節がかなり傷んでいました」

オータムクラシックで、羽生はSPの世界最高記録を更新したが、11月のNHK杯公式練習で、4回転ルッツを跳んで転倒。右足関節外側靱帯を損傷してしまう。ケガの治療とリハビリに入った羽生と、菊地さんが次に会ったのは、平昌五輪のホテルの部屋だ。

「足首はどうだ?」と、菊地さんが聞くと、羽生は「いてぇ」と、おどけてみせた。

「初日の結弦は落ち着いていましたが、2日、3日とたつと、だんだんカーッと高揚し始めたんです。五輪に合わせて、ピークを持ってこられていることが、テーピングをしていても伝わってきました」

3カ月もの間、試合を離れていた羽生。しかし、感覚はかえって鋭くなっていたと菊地さんは言う。毎朝のテーピングも一発で決まった。ソチのときとは全然、違って落ち着いていた。羽生も、そして菊地さん自身も。

SPでの完璧な演技に涙した菊地さんは、感動の余韻に浸る暇もなく、リンク表面を製氷車が削った削りカスを集めた。羽生は、アイシングのとき、ブロック氷のゴツゴツ感を嫌うため、シャーベット状の削りカスを使う。

「試合後にアイシングをしている選手は、フィギュアの会場ではあまりいません。でも、大事なこと。負傷部位の冷却で、一時的に血流を悪くさせ、氷を外すことで一気に負傷部位に血流を流すためです」

羽生はショートが終わった後、報道各社の取材を受けている。その合間に急いでアイシングを施す。

「もうショートの感動もありません。金メダルかも、という思いもありません。とにかく“痛みが出るな、痛みが出るな”と思いながらアイシングに集中しました」

フリー演技前の羽生は、どこか吹っ切れたように見えたと言う。リンクの中央に向かう羽生の背中に、菊地さんは「大丈夫だ。一つ一つ丁寧にやれ」と声をかけた。

結果は――。冒頭のジャンプで完璧な滑り出しを見せた羽生は、2位に10点以上の差を付けて、五輪2連覇を果たす。フィギュア男子では、66年ぶりの快挙だった。


平昌五輪後の羽生は世界選手権を断念。治療に励んだが、羽生フィーバーは盛り上がる一方だった。

4月22日には、故郷仙台でオリンピック連覇を祝う凱旋祝賀パレードが開催され、ソチ五輪時を上回る、10万8000人が沿道に詰めかけ、祝福した。菊地さんは、そのパレードには行っていない。

「あいつが日にちを教えてくれなかったから、お母ちゃんとの旅行の予定を入れてしまいました(笑)」

五輪後に送ったメールも、いまだ羽生からの返信はない。

「いつもそうです。僕がメールすると、しばらくして空いた時間に返ってくる。1か月後だったり、3カ月後だったり。返信がなくても試合会場で会って『先生ゴメン。メールありがとう』と。僕もどんなメールを送ったか、忘れていますけどね。それでいいんです」

7月2日、総理官邸で、羽生に国民栄誉賞が授与された。23歳での受賞は史上最年少となる。それでも、菊地さんにとっての彼は、8歳のときから変わらない。

「あいつが金メダリストであろうが、国民栄誉賞を受賞しようが、結弦は結弦です」

7月15日、菊地さんは、全日本一輪車競技大会の会場にいた。羽生のトレーナーだけでなく、5年前から、岩手県遠野町の「遠野一輪車クラブ」のトレーナーも務めている。選手を送り出すときの菊地さんの笑顔が温かい。笑顔とともに、菊地さんは選手にこんな言葉をかける。

「勝ったらお前の努力。負けたら俺の責任だ。思い切ってやってこい!」

羽生にもそう言い続けてきた。トレーナーとしての手腕もさることながら、菊地さんのいちばんの武器は、この懐ろの深さではないだろうか。その象徴である笑顔を見ると、不安が消える。選手は持てる力を最大限、発揮できる。

そのことをいちばんよく知っているのは羽生のはずだ。それでも菊地さんは言い張った。

「いや、すごいのは結弦です。結弦が素晴らしいんです!」

あと1カ月で'18-'19年シーズンが始まる。羽生の王者の舞いは、どんな進化を見せるのか。



「シリーズ人間」を抜粋したネット記事が2種類UPされていました。それぞれ抜粋部分が違うので、雑誌を見ながら、くっつけました。私は、この号の「週刊女性自身」を買いましたが、結弦くんが8歳のときの出会いから、ソチ五輪シーズンを終えるあたりまでが割愛されています。ネット記事は、おもに平昌五輪にフォーカスしてますが、両方合わせたら、全体の2/3くらいカバーできてると思います。

子供時代からずっと見守ってきた菊池さんにとって、結弦くんは孫のような存在なのだろうなと思います。「あいつが金メダリストであろうが、国民栄誉賞を受賞しようが、結弦は結弦です」という言葉にグッときますね。どれだけえらくなっても、孫は孫だというのと同じこと。そして、結弦くんにとっても、プーさんと同じく、菊池さんも、共に戦ってきた気の置けない戦友なのだろうなと思います。

羽生のトレーナーだけでなく、5年前から、岩手県遠野町の「遠野一輪車クラブ」のトレーナーも務めている・・・菊池さんにも良い風が還ってきてるのですね。結弦くんに良い風を送ってくださる人達がみな幸せになりますように。



菊池さんとの心温まるシーン。おせなにツンが何気にツボでした(笑)


201802-092.jpg


さて・・・ここから、ちょっと脱線しますが、菊池さん絡みで思いだしたので。
ひとり言なので、興味ない方はスルーしてください。

少し前のツイ情報ですが、菊池さんの講演会に行かれた人によれば、菊池さんが「結弦とメドベージェワ選手は、週刊誌に書かれているようないかがわしい関係ではありません!」と、声を大にして断言されていたそう。いやそんなに強調されなくても、普通のファンは皆そんなこと思っていませんから(笑) ただ、以前の同級生とのガセ記事以来、結弦くんがその手の記事に神経質になってるのは確かだと思います(「何度も死のうと思った」ほど苦しんだのは、あの記事のせいと思われる)。菊池さんも、そういう結弦くんの悩みをわかりすぎるほどわかっているからでしょう。

2日ほど前に、ファンタジーオンアイス金沢公演の最終日がテレ朝2で放送されました。この最終日の公演は、すでに6月3日に当日録画で放送されたもので、18日の放送は、それにスケーターのインタビューなどを加えて編集しなおしたものですが、フィナーレのスケーター退出シーンがさりげなくカットされていました。当日録画のときはあったもの。初日、2日目の放送では、退出シーンはカットされていません。やはり例のシーンのせいかな?と。羽生サイドまたはCICからの要請なのか、テレ朝が忖度したのかわかりませんが。テレ朝側が「ないことないこと」書きたてる週刊誌報道や、あるいはこういう情報も把握してのことかな・・・とも思ったりしました。ミーシャも悪気はないのでしょうが、日本人的感覚からすると、こういう冗談は笑えないわ・・・。

あえて貼りませんが、関心のある方は、こちらのリンクにいってください。
→ https://twitter.com/B4japan/status/1004280851117441024


参加してます。ポチっと応援お願いします♪

人気ブログランキング

関連記事

テーマ : フィギュアスケート - ジャンル : スポーツ

2018/08/20 11:15 | テレビ番組・コラム(2018-2019)COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

 | BLOG TOP |