羽生結弦、今も4年前も変わらぬ”感謝”の想い ~ソチ五輪後のインタビューより

年に一度発行されてる「オリンピアン」の2014年版に、結弦くんのインタビューが掲載されていましたが、今読み返すと、先日の「24時間テレビ」の結弦くんと重なる部分が多く、彼が4年前からまったく変わっていないことをあらためて実感させられました。


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ロシア・ソチのセントポールに日の丸が掲げられた。19歳のエースが見せた美しい演技がもたらした待望の金メダルだった。会場の、そして世界中のファンを魅了した若き金メダリストが今後目指すものとは。

巻頭インタビュー

金メダリストの役割

―あらためまして、ソチオリンピックの金メダル、おめでとうございます。その後、心境に変化はありますか。

羽生:いえ、僕自身の考え方は何も変わりません。もちろんオリンピックの金メダルという結果はしっかり受け止めなければいけないと思っています。でも、スケートに対する僕の気持ちは絶対に変わらないですし、これまで同様、今も精いっぱい打ち込んでいます。

―表彰台で君が代が流れた時は、どのような気持ちでしたか。

羽生:昨シーズン中、ずっと君が代を聞きたいと思っていました。ですが、前半戦はパトリック・チャン選手(カナダ)と直接当たって2位が続いたことで、まったくかないませんでした。だからこそ、ソチで聞いた君が代は本当に心待ちしていたものでした。

僕の中でオリンピックの金メダルというと、2006年トリノ大会の荒川静香さんが強く印象に残っています。当時、僕は練習拠点にしていた仙台市内のスケート場が閉鎖してしまったのですが、荒川さんの金メダル獲得をきっかけに運営再開を求める声が高まりました。荒川さんが寄付してくださったり、多くの皆さんの署名が集まったり、県や市の方々のご尽力の結果、再開された。ですから、皆さんに対して感謝の気持ちでいっぱいでした。荒川さんの金メダルがなかったら、僕はここまでスケートを続けてこられなかったかもしれません。ソチの表彰台でメダルを首にかけていただいた時に、僕もようやく同じラインに立てたという実感が湧いてきました。

被災地・宮城を思う

オリンピック後に地元の方々とふれあう機会はありましたか。

羽生:印象に残っているのは、ソチオリンピックが終わった直後のことです。
実は試合直後の記者会見の時、「結局、自分に何ができたんだろう」と思っていました。自分自身、被災した人間だからということもあるのですが、オリンピックで金メダルを取ったからといっても被災者の皆さんに対して何もできなかったんじゃないかと思い、本当に自分は無力だと感じていました。
 でも、テレビの生放送に出演した際に、地元の方々とVTRを通してふれあう機会があって、その中で、仮設住宅に住んでいる方々から「本当に感動した」「頑張ろうと思えた」という言葉をいただいたんです。それがとても心に残りました。本当にフィギュアスケートをやってきてよかったと思えた瞬間でした。

―仙台での凱旋パレードも大盛況でしたね。

羽生:はい、9万人以上の方が来てくださったそうで、あらためて環境が変化したことを実感しました。すごくうれしかったんですが、パレード中はどこを向いていいかわからなかったこともあり、実はけっこう大変でした(笑)

ー東日本大震災の復興のシンボルとして求められることも多いと思います。

羽生:僕は一人の被災者として、500年に一度と言われるこの大地震を後世に伝えなければいけないと思っています。もう3年も経ってしまったので、いろいろと忘れかけていることもあると思います。でも、ボランティア活動をされている方、募金をしてくださる方、さまざまな活動をしてくださっている方がたくさんいらっしゃいます。
 僕自身が話すことはちっぽけなことかもしれませんが、「羽生結弦」という存在がメディアを通して話すことで、多くの人たちが少しでも東日本大震災のことを思い出し、考えるきっかけになればと思います。
 ソチオリンピックの日本人金メダリストは僕一人ですし、19歳の金メダリストというのも僕一人です。自分の中ではこれまでと変わらないのですが、誰とも同じではない唯一の存在、特別な立場の人間になったことで、たくさんの人に伝えなければいけないことがあると感じています。

僕が伝えたいこと

ーそのほかに、伝えていきたいことはありますか。

羽生:ある日、試合後のリンクサイドでじっと氷を見ていたんです。そうすると、会場のスタッフの方がこれでもかというくらい氷を触ったり、製氷する機械を使ったりして、氷の状態を調整してくださっていました。リンク設営のために、そのほかにもたくさんの方々が動いてくださっていることを、僕なりに実感する機会でした。
 アイスショーが開催される時には、ゲストである僕たちは用意されたバスで会場に行き、準備をして、リンクの上で演技をします。僕は当然のようにそれを繰り返してきたわけですが、裏ではたくさんの方々が関わってくださっている。このような方たちの努力を伝えたくても、注目される存在にならなければなかなかメディアに取り上げていただけません。金メダリストになれた今だからこそ、僕は「羽生結弦」として、僕らを支えてくださっている方々のことを話していきたいと思うようになったのです。

―そのようなことはソチオリンピックの前から考えていたことですか。

羽生:忘れてはいけないのは、たくさんの方々が自分たちを支えてくださっているということです。幼い頃から両親に言われてきたのは、「周りの人たちに対して感謝の気持ちを常に持ちなさい」ということでした。
 フィギュアスケートは個人競技ですが、一人でやっているわけではありません。家族はもちろん、コーチやスタッフ、リンクを整備してくださる方など、たくさんの力が必要です。そうした方々の努力があり、細かい作業があってはじめて僕たちは氷の上に立っている。こうしてスケートができている感謝の気持ちを忘れず、演技一つ一つの意味を考えることをずっと大切にしてきました。



金メダルをとっても無力感を感じていた結弦くんが、仮設住宅に住む人達から感謝の言葉をもらって、「本当にフィギュアスケートをやってきてよかった」と思ったと。そのまま今年の24時間テレビでの言葉とオーバーラップしました。

ご両親から、いつも「周りの人たちに対して感謝の気持ちを常に持ちなさい」と言われて育った結弦くんは、裏方の人達への感謝の気持ちも決して忘れない。そういえば、2012年のフィンランディア杯、結弦くん、表彰式が終わってから、製氷の手伝いしてたの思いだしたわ。本当にええ子やのう・・・。





演技一つ一つの意味を考えることをずっと大切にしてきました」・・・「意味のある演技をしたい」って、今年になって特に口にするようになったけど、この頃からそういう気持ちを持ち続けていたのだよね。そして、その底にあるのは、「感謝」の気持ちなのだろうと思う。

結弦くんを応援する人たちは、結弦くんからたくさんの夢や希望や勇気をもらって、結弦くんに感謝してるし、結弦くんは、自分を支えてくれてる人たちや応援してくれてる人たちへの感謝の気持ちを力にして、良い演技をする原動力にしている。そしてその演技を見て、私たちはまた感動と勇気をもらう。感謝と感謝のキャッチボールというのでしょうか。いい循環になってるなあとあらためて思いました。


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2018/08/27 12:15 | その他(2018-2019)COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

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