金メダルはゴールではなくスタート ~ゆづ16歳、修造初対談より
先日記事でとりあげた、「はい!テレビ朝日です」での修造さんのお話の中で、「僕は羽生さんという人を、たぶん日本で一番、インタビューしてる可能性がありますね。もう16歳からずっと聞いていて・・・」というくだりがありました。では、その16歳のときのインタビューはどんなものだったのか? おそらくこれが初インタだったのではないでしょうか。修造さんのコラムより、抜粋します。
ソースはこちら http://www.shuzo.co.jp/164-2/
報道ステーション 羽生結弦選手~16歳の4回転ジャンパー(2011年11月9日)
今回取材させていただいたのは、フィギュアスケートの羽生結弦選手、16歳。
次世代のエースといわれている羽生選手の最大の武器は、なんと言っても「4回転ジャンプ」!
その成功率がすごいんです。
グランプリシリーズ中国大会で、結果は僅差の4位に終わったものの、
ショートとフリー両方で4回転を成功させたのは、羽生選手ただ一人。
しかも、練習での確率はどんどん上がってきていて、
10本のうち8本ぐらいは軽く跳べるというから、何とも頼もしい!
ただ、この4回転ジャンプは、大きな苦難を乗り越えて身に付けたものなんです。
それは、仙台にある羽生選手のホームリンクが、今年3月11日に起こった東日本大震災で被災したこと。
羽生選手は、まさに練習中だったそうで、そのときは氷が波打ち、貸靴も全部倒れて、靴も飛んできて、
光景が普通じゃなさ過ぎて、普通が何なのか分からなくなるほどだっと言います。
羽生選手は、4歳のときから通っていた練習場を突然失い、自宅も大きな被害を受け、避難所暮らしに。
そのときは、自分が一人の選手だということを考えている状況ではなくて、
一人の人間として生活しきることが大切だと思っていたそうです。
生活するだけで精いっぱい。
スケートを2~3年休まないといけないのかなということも考えたそうですが、
震災から1ヵ月ほど経った4月初めに、神戸で開催された東日本大震災チャリティー演技会に参加する機会があり、そこで、とにかく精一杯滑る、今の自分を伝えるという思いで滑ったという羽生選手。
僕の演技を見て感動して涙を流している人とか、心から拍手をしてくださっている人を見て、
一つ一つの声援が本当にうれしくて、あんなに感動してもらえるスポーツって他にないんじゃないかなと思い、
「再びスケートをやろう」と決意したそうです。
その後も、チャリティーショーのオファーが殺到し、半年で、実に60公演に参加。
しかし、羽生選手は、この過密日程を前向きにとらえようと考えたそうです。
ホームリンクを失い、練習環境がないため、公演先のリンクへ早めに入り練習をさせてもらう。
そして、異例のことですが、ショーでの4回転ジャンプにも挑戦。
震災に会い、逆境に立たされながらも、前向きに4回転を磨き続け、
この苦難を乗り越えたからこそ見えてきた4回転ジャンプなんですね。
羽生選手が、見据えている未来、夢は、オリンピックで金メダルをとること。
しかも、金メダルはゴールではなくて、そこからがスタートだというから、すごい16歳です。
金メダルが始まりということは、その続き何なのか。
それは、10年後になっても震災の傷はきっと癒えていない。
だからこそ、自分が滑ることで、支援していきたいんだそうです。
10年後の目標、そして自分の考えもしっかりも持っていて、自立している羽生選手。
とても16歳には思えませんでしたね。
これからが本当に楽しみな選手の登場です!
羽生選手が、見据えている未来、夢は、オリンピックで金メダルをとること。
しかも、金メダルはゴールではなくて、そこからがスタートだというから、すごい16歳です。
金メダルが始まりということは、その続き何なのか。
それは、10年後になっても震災の傷はきっと癒えていない。
だからこそ、自分が滑ることで、支援していきたいんだそうです。
16歳のときに心に期していた想い・・・どんなにスターになっても驕らず、精進し続けた彼は、23歳にして夢をかなえました。五輪二連覇、ヒストリカルレコード、2度の紫綬褒章に国民栄誉賞・・・望みうるすべての栄誉を手にしたけれど、彼はそれをゴールだとは決して思っていない。昔も今も全くブレがない。強い信念は、人をこんなにも強くするものなんですね。
コラムに書かれている、修造さんが初めて結弦くんをインタビューしたときの動画を見たことがあります。動画主様が「リンクはご遠慮ください。拡散厳禁」とされているので、リンクは貼れませんが興味深い内容でした。
16歳のときから、結弦くんは四回転について、すでに確かな理論をもっていたようです。修造さんも「四回転は感覚で跳ぶ選手が多いけれど、彼は違う」と驚いていました。そして、16歳当時は雲の上の人であったろうステファンに、四回転のコツを聞きに行くという度胸の良さ。なんでも吸収しよう、成長の糧にしようという貪欲さは、生来のものだったようです(笑)
どなたかがツィで言っていました。「羽生選手の寄付の話を聞くと、自分の羽で織物を織って恩返しする鶴が思い浮かぶ」と。なるほどと思いました。本当に、美しくて強くて優しい鶴ですよね。
こちらのツイで紹介してくださってる動画もよいです。16歳で震災にあったときから、ソチで金メダリストになっても、平昌で二連覇をしても、一貫して変わらない結弦くんの想いが尊いです。
ソチ後の映像。
— gokuri@LotRink (@gurikonoomake1) 2018年10月26日
「オリンピックの金メダリストっていうそういう人になれたからこそ、そこからスタートなんじゃないかと。復興のために出来ることがあるそのためのスタートなんじゃないかと」
あれから4年有言実行の人
スポーツがあったから 羽生結弦と東北の絆 https://t.co/3KZkbQa84Q @YouTubeより
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2018/10/29 11:31 | テレビ番組・コラム(2018-2019) | COMMENT(0) | TRACKBACK(0) TOP