羽生結弦選手 「 KENJIの部屋」 第二回目 感想

12日の夜に長崎から帰ってきました。5日ぶりの更新です。
関西を留守にしてる間に、北日本では大変なことになっていて、結弦くんの故郷の宮城県も甚大な被害があったようで、心配はしていたのですが、長崎は同じ日本とは思えないくらい天候に恵まれました。
また、長崎旅行のレポは、時間のあるときに、おいおいあげたいと思います。

一週間遅れになりますが、「KENJIの部屋」2回目についてです。(今日、3回目初回放送ですよね・・・汗)
あちこちで、録画おこしされてると思いますので、見てないかたも、すでに読んだ方は多いでしょう。
多少簡略化してますが、結弦くんの話した部分だけ、まとめておきました。そちらは「続きを読む」からごどうぞ。

さて、では感想です。今回は自分語りも多いし長いです。お付き合いいただける方のみお読みください(汗)
2回目は、ジャンプについて、ノービス・ジュニア時代の思い出、シニア1年目を中心に語ってくれました。

で、その中で、印象に残ったことは、まずこれ ・・・ 今は2Aが飛べない

実は、この件に関しては、私もずっと疑問に思っていたのです。「結弦くんは2Aが跳べるのか?」と。
なぜなら、彼がシニアにあがってから、2Aを跳んでるのをみたことがないから。元々、構成に2Aを組み込んでいないし、3Aで転んだことはあっても、抜けて1Aになったことはあっても、抜けて2Aになったことはない。
今回の対談で謎が解けました。もう2Aが跳べない身体になってしまったのね(笑) 今は3Tも苦手なのか~。

次に、取り組んでいる新しいジャンプのこと。結弦くんは、ショーのフィナーレで、よく4回転ループを跳んでますが、より難しいジャンプを跳ぶことで、他のジャンプが簡単になるという効用もあるみたいです。今、な~にも考えなくても、3回転ループが跳べるそう。ただ、今、ルッツは少し苦手意識があるのかもしれませんね。シーズン開始までにうまく修正できますように。

一番最初の世界ジュニアに出場するとき、無理な練習で腰を痛めた・・・という話を聞いて、賢い結弦くんなのに、この点だけは、ジュニアの頃から、まったく学習できないのね・・・とある意味感心しました(笑) 2012年、2013年、2015年・・・ずっと故障もちのワールド出場。それでも、2013-2014年のソチシーズンだけ体調管理がうまくいっていたのは、やはりスケートの神様に愛されているということでしょうか。イメージと違い、意外と練習時間が短いというのも、その理由として、以前「長く練習すると集中力が切れ、そうすると怪我をしやすくなるから」と言っていたような。量より質・・・という練習を心掛けているんでしょう。まあ、確かに、調整の遅れで焦って練習量を増やしたときに怪我をする・・・というパターンが多いような気がしますね。

一番、印象に残ってる試合・・・これ、私も考えてみました。シニアにあがってからの試合限定で。
いろいろあるけれど、マイベスト3はやっぱりこうなるかな。


1位  ロミオとジュリエット(2012年ニースワールド)
2位  パリの散歩道(2012年スケートアメリカ、2014年ソチオリンピック) 
3位  ロミオとジュリエット(2013年 グランプリファイナル)



一位のニースワールドのロミジュリ。この1試合で、私は”羽生結弦”に堕ちました(笑)
このロミジュリ、多いときは1日に10回くらい再生して、3か月くらい憑かれたように毎日リピしまくっていました。
何度見ても、毎回鳥肌がたちました。おそらく、このロミジュリほど鬼リピするプログラムはもうないでしょう。

2014年ワールドのEXで、結弦くんはこのロミジュリを滑ってくれましたが、ニースのロミジュリを見過ぎたせいで、ステップで転倒しなかったのに違和感を感じたくらいです(笑) 身のこなしも、スケーティングもニースよりずっと洗練されている。でも、2014年のロミジュリには、2012年のときほど感動しなかった。何かが足りない。それは”ロミオの狂気”です。中国杯の血まみれのファントム・・・あれだけボロボロの演技でも「美しい」と感じたのは、”ファントムの狂気”が見る者を震撼させたからです。
ニースの17歳のロミオ・・・青くささも、荒削りなところも込みで、あの”至高のロミオ”だったんでしょうね。

パリ散・・・これは持越ししたこともあって、試合でたくさん見ました。その中で、ソチ個人のパリ散はもちろん印象が強いのですが、、2012年のSPの歴代最高得点(当時)をだしたパリ散もかなりのインパクトでした。私が、ブログで結弦くんを取り上げるようになったのが、2012年4月からですが、その一発目が、結弦くんが練習拠点をカナダに変え、コーチがオーサーになる・・・という記事だったかと思います。
スケアメの前にフィン杯がありましたが、B級以外では、移籍後初めての試合。カナダに拠点を移して、吉と出るか、凶とでるか心配していたので、成果のでる早さとすごさにびっくりしました。

今では考えられないことですが、結弦くんが出場したスケアメは、地上波放送がなく、BS放送だけでした。その頃は、まだうちはBSが見れなくて、スケアメ見るためだけに、Jcomに入ったものでございます(転居後、スカパーに変えましたが) 
最高のショートのあとに、地獄のフリーが待っていたので、それもすごく印象に残っていますね。

ロミオとジュリエット・・・スケカナ、エリックと、2013年のGPシリーズは、チャンと2連戦。過酷なアサインでした。
2012年に全日本チャンピオンになっても、この頃の結弦くんは、日本男子ではナンバー2の扱いでした。2戦ともチャンに全く歯がたたず、ギリギリでのファイナル出場。そこで、チャンを破ってのまさかの優勝。結弦くんがオリンピックの金を引き寄せた大きなきっかけになったフリーでした。ソチシーズンだっただけに、あれは本当に嬉しかった。考えてみれば、あれ以降、結弦くん、チャンに全勝なんですよね。

ソチで金、平昌で金が、小学生の頃からの規定路線・・・何のメディアかは忘れましたが、シニア1年目の頃かな? 彼が「平昌で金をとりたい」といってるのは読んだことがあります。心の中ではソチ金も狙っていたのでしょうけど、その頃は”3強”の壁が大きく立ちはだかっていた時代。ソチ出場もどうなるかわからない頃だったから、ソチ金までは言いにくかったのでしょうね。オーサーにすら、「ソチ金、平昌金」という意思をはっきり告げたのは、ソチファイナルのときだそうだから。でも、不言実行・・・さすがです。

とても充実した内容の2回目でした。3回目の記事もまた追ってあげるつもりです。


      KENJIの部屋2回目


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(ダブルアクセルはいつ跳べた?) 
3年生の終わりくらい? 自分でよく覚えてないんですけど。初めて全日本ノービスに出る時に、2A跳べないと話にならないので、かなり2Aにこだわりはあった。その時教えていただいてた都筑先生が「アクセルはキングオブジャンプ。アクセルが跳べないとこの先何もできないから」って。練習時間の3/4くらいずっとアクセルに費やしていた。 1A跳べるのも異常に早くてびっくりされてたらしい。自分は覚えてないけど。
アクセルは変人だと思う。それくらいアクセルが好き。特別感あるじゃないですか


(2Aから3Aになるとき、変えたとかこだわったとかあった?)
根本的には変わってないと思う。僕自身すごくイメージを大事にするタイプ。初めて2A跳べた時は姉の見てて跳べた。3Aも同じ。浅田選手が全日本の合宿の時にいて、浅田選手あんなに細くて華奢で、筋肉とか使わなくても跳べるんだって思って。じゃあ僕も跳べるって思ってやったら跳べた。 あの時は、練習で多分3回目くらいで跳べてる。2回目でSOして、「あ、跳べる!」って思って、普通に跳べた。 そのあとアクセルが跳べない時代がすごく長かったけれど。1年くらい、試合できちんと決まらなかった。

その後、ミヤケンさんの、シングル選手時代の3A・4T習得トライの苦労話がありました。
結果、ミヤケンさんは、「自分はジャンプに向いてない!」とダンスに転向したそうです。

(取り組んでいる新しいジャンプは?) 
4回転ルッツは一発だけ。ルッツ1個だけまぐれで降りたんですけど、あれから練習はあんまりしてなくって。試合もあるし、何より3Lz-3Tの確率が低すぎて。まずそっちを大事にしなきゃいけない。僕は曲によってジャンプのタイミング変わってしまう、結構曲聴いちゃうので。昨年のバラードなんかは緩急がすごくあるので、その緩急によってのジャンプのタイミングのずれがあって、ちょっと跳びにくかった。

(4Lz跳んだあと、「感覚がわからない、3Lz跳べない」って言ってたが、感覚が全然違う?)
違います。そういう話で言うと、僕は今2Aが跳べない。3Tもすごく難しい。3Tめちゃくちゃ下手。アイスショーのグループナンバーで、2A跳ばなきゃいけないとき、何回か前にコケそうになった。

(ジュニア時代の思い出、苦労話は?) 
世界ジュニアに1年目出させていただいた時に、13位だった。1人で出場して絶対に枠1人でも増やしてやるって思って行ったんだけど。一枠しか結局取れなくてものすごい悔しかった。
もともと結構練習時間が少ないタイプだけど、世界ジュニアに向けて追い込んだ。その時に腰を初めて痛めて。一週間前には1Aも跳べない状態で、起き上がれなくなって。その状態で挑んだ世界ジュニアだったので、ケガしてそういう状態になったことが悔しかったし、自分の力が発揮できなかったことも悔しかった。


(その経験が今生きてる?) 
あの頃の思い出はものすごく生きてると思う。あの頃自分に言い訳してた部分があった。腰痛いから、捻挫してるから仕方ない・・・って。そういうことを自分の心や周りにも言ってた。そういう経験から僕は言い訳を絶対したくないなっていうのが身についた。 強い選手で言い訳してる選手はほとんどいない。どこどこが悪かったから、リンクがこうだったからとか。 そんなこと言ってたら何も始まらないし、自分の実力の向上にはならない。どんな状況でも跳べる人はいる。浅田選手は骨折しながらやってた。それをメディアとかに自分から発信することはなかった。そういうことって大事だなと思っている。

(世界ジュニアで優勝したときはどうだったか?)
前の世界ジュニアが悔しかったので、かなり練習を積んだ。前の世界ジュニアは、オリンピックがあった年だったので、ポイントを稼ぐためにシニアの選手がたくさん出場してた。それで悔しかったから、シニアで通用している選手にでも勝ちたかった。デニス・テン選手とか。あの時は、枠とかそういうのは全然気にしなかった。その前にファイナルも優勝できてたし、GPも1回も負けなかった。あのシーズンは1回もジュニアで負けてないので。
フリーとショートのバラつきはあった。もとから僕ショートは苦手。ショートで失敗、フリーでなんとかっていう形が多い。世界ジュニアもショートで3位、フリーでアクセル2本決めて1位。自分の得意な勝ちパターンでいけた。
あの試合は世界ジュニアってあまり意識していなかった。オリンピックのSPのときのように、これまでできてるから大丈夫という自信をもってできた。何も思い残すことなくジュニアを終えれるシーズンだった。


(同じ世界ジュニアにいった村上選手が生のニシンを食べて腹痛になったのは知ってるか?)
知らないです。そういうとこバカですよね(笑) 同期だからいいますけど。抜けてるというか・・・。
僕、絶対試合前、そういうの食べないですもん(笑)


(シニアデビューした時に、いきなり四大陸で銀メダル。あのときの心境は?)
四大陸に行くまでの間に、シニアの大変さを感じてた。人よりもかなり濃密にその時間を過ごしたなって。
一番最初のシニアの試合はNHK杯。そこで、初めて組み込んだ4回転決めてる。それで悪い意味で調子に乗った。確率は今の4回転ループよりも低い状態だったのに、それを決めちゃったから。ちょっと練習に対する気持ちも変わってきて、次の試合良くなくて、シニアの難しさを感じて、練習しても跳べなくてを繰り返して、最終的には四大陸で・・・って感じだった。


(四大陸はうれしかった?) 
うれしかった。今シーズン頑張ってきて良かったなというか、これで報われたなって。じゃあ来シーズンもっと上行けるなみたいな。 (ちょっとずつでも成長していこうと)そういう気持ちになった。四大陸も、自分がもっと上目指さなきゃいけないなと思うきっかけになった。

(一番印象に残っている試合は?)
オリンピックかって言われたらそんなことない。僕が初めて出た全日本ノービスですかね。
初めて全日本ノービスに出て、その時めちゃくちゃワクワクしてた。緊張なんかしてなかった。試合が楽しくて楽しくて仕方なくて。その頃の練習量もすごかったので、もうミスをする気配すら感じなかった。小学校4年生ながらに、絶対勝てると思ってた。その時まだ6.0方式なんですけど、その試合でプレゼンテーションで5.2が1人だけ出て、めちゃくちゃうれしかった。 「世界選手権で戦える!」とかちょっと思ってたんです、その時(笑)


(小学校時代にいろいろ作ってきてる?)
作ってます。小学校の頃から人生設計がだいたい変わってない。で、今そのとおり動いてる。
僕はソルトレイクのオリンピックを見た時(7歳)に絶対金メダル獲ってやるって思った。その時から、19才のオリンピックで優勝して、もう1回オリンピックに出てもう1回優勝するっていうのが僕の今までの人生設計。絶対に次のオリンピックで2回目獲って、2回獲ったらもう伝説になるから。その時からずっと思ってた。 絶対金メダル獲れるとは思ってなかった。獲れるとか獲れないとかじゃなくて、獲ってやるって気持ちが誰よりもあったと思う


(ひとつはもう獲った。それでもう1個?)
狙わないと意味がない。それが今スケートやってる一番の大きな理由だと思うので。

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テーマ : フィギュアスケート - ジャンル : スポーツ

2015/09/15 12:00 | 2015-2016 seasonCOMMENT(3)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

ぴ○ 様

ぴ○さん、こんにちは。

>みずほ様があげていた羽生選手のプログラムBEST3ですが、私も1位は同じです!あれこそ本物のロミオでした。

今、結弦くんが完璧にあのプログラムを滑ったとしても、私の中では1位にはならないんです。あの、17歳の結弦くんだからこそ、あそこまで魅了されたのだと思います。今の結弦くんには、あの旧ロミオより、やはり晴明やファントムの方が合っていますもの。

>最後の力を使い果たして立ち上がりコーチの所へ行く一連の動きが映画の様に焼き付いています(涙)。

ななみさんとハグするリプレイは、まるで映画のワンシーンのように感動的でした。ななみさんが、演技が終わったとき、リンクサイドで涙を拭いていたのもとても印象的でした。

>あのプロを思い出すと年齢とキャラクターに合っていることの重要性をあらためて感じます。

結弦くんの競技プロは、特にそれを感じます。でも、選手にもよりますね。トゥクタミシェワの昨シーズンのプロなんて、10年後に滑っても違和感なさそう(笑)
結弦くんのでも、EXプロは、ヴァーティゴや、ハローアイラブユーなんて、今滑ってもまた新たな魅力発見!って感じなのですけどね。

拍手&コメント、どうもありがとう♪

No:4491 2015/09/16 15:07 | みずほ #o/PXu/q6 URL [ 編集 ]

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No:4492 2015/09/17 19:57 | # [ 編集 ]

ぴ○ 様

ぴーさん、こんにちは。

>私も来月偶然長崎行く予定なので長崎のレポート楽しみにしています。

世界遺産に登録されたことで、今ちょっとした長崎ブームですよね。すぎにはレポあげれないかもしれませんが、今月中にはなんとか・・・(汗)

>実は今日NHK杯の先行外れました

私も全滅でした。昨年はNHK杯、激戦の中なんとかSPは奇跡的に当たりましたけど、今シーズンは浅田選手復帰もあり、昨年以上の超激戦のようですね・・・(涙)

コメント、ありがとうございました♪

No:4493 2015/09/18 09:53 | みずほ #o/PXu/q6 URL [ 編集 ]

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