羽生結弦選手 「 KENJIの部屋」 第三回目 感想

「KENJIの部屋」3回目の感想です。
内容は、多少簡略化した形で、結弦くんの話した部分だけ、まとめてます。そちらは「続きを読む」からどうぞ。

3回目は、震災のこと、初出場の世界選手権のこと、カナダのクリケットのことなどを語ってくれました。

「花になれ」は、ミヤケンさんが初めて結弦くんに振付したものだそうです。
ミヤケンさんが結弦くんに振り付けたプログラムは、「花になれ」他には、「story」「天と地のレクイエム」「Final Time Traveler」「True Love」「Believe」などもそう。どれもファンタジーオンアイスのアーティストとのコラボのプログラムですね。それを、結弦くんは、そのシーズンのEXプロのひとつとして使っています。
特に、「花になれ」はお気に入りのようで、2012-2013シーズン以降も、何度もショーで演じていますね。

私も「花になれ」はとても好きなプロだし、「天と地のレクイエム」も素敵だとは思います。
ただ・・・個人的には、私は結弦くんとミヤケンさんとはそれほど相性がいいとは思っていません、実は(笑)
FaOIの振付をミヤケンさんが今後も担当する限り、この流れが続くんでしょうけど、できればEXプロは、どうせ日本人に振付してもらうなら、菜々美先生がいいなあと思ったりします。先日のFaOIの「ヴァーティゴ」を見ても、「花は咲く」を見ても、結弦くんの上品さや透明感、可愛らしさを本当にわかっていて、それをプログラムに一番生かせるのは、子供の頃から結弦くんを見てる菜々美さんだと思ったので。

それから、結弦くんの「僕は結構合宿とかアイスショーだとか試合の公式練習とかで上達することがものすごくある」という言葉で、アイスショーにでることは、結弦くんにとっては必要なことなんだなとあらためて思いました。三冠とって燃え尽きていたとき、アイスショーで、先輩スケーターの演技にふれることで、またモチベーションがあがってきたと言っていたし、「ショーに出すぎでは・・・」とどうしてもファンは心配性になってしまうけれど、大勢の観客の前で4Loを披露するなんてことも、ショーでなければできませんものね。でも、ショー以外の仕事は減らしてあげて・・・とはやっぱり思いますが(笑)

結弦くん、移籍後初めてのグランプリで、世界最高得点だして衝撃的だったと言っています。
はい、ファンも衝撃的でした(笑) その前のフィン杯でも、ショート失敗してたし(それでも優勝してたが)。
2回目の感想でも書きましたけど、このときの演技は本当にとても印象に残っています。
カナダ放送でも、実況も解説も滅茶苦茶興奮してましたよね。「まだ17歳? まだこれから進化するの?」って。

あと放送は2回を残すのみとなりました。いろんな話が聞けて嬉しいけど、アッという間ですね(笑)


      KENJIの部屋3回目


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(地震の影響について)
震災があったことによって、あんまりきっかけとかプラスっていう表現は使いたくないけれど、きっかけっていう言葉を使うと、震災があったことによって表現しようと思う気持ちが上限も下限もかなり広がった。スケートに対する想い、スケートをやっている意味、スケートのみならず羽生結弦という存在・・・僕自身が感じている普通の羽生結弦と、スケーターとしての羽生結弦と、被災地代表としての羽生結弦。いろんな羽生結弦像があって。そのどれを信じたらいいんだろうみたいな葛藤もあった。 賢二先生が阪神淡路大震災を経験されている。共通点は少ないが、自分たちの力ではどうしようもない、そういう悲しみや辛さ、無力感・・・そういうのは(共通点として)あると思う。

(”花になれ”について)
あれが多分初めて僕が日本語の曲で滑ったもので、初めて賢二先生に振り付けてもらったもの。あれは震災前のやつだけど、今もずっとやろうと思えるのは、僕自身その歌に救われ、歌詞の意味を考えた時に、僕の辛い経験とかをリンクさせることもできて、僕がその辛いことから乗り越えたという表現をすることによって、その歌詞を皆さんが自分自身と照らし合わせたり、他の方を思ってそれをリンクさせたり、そういうことをして頂けるプログラムだと思うので、まだ大切に滑らせて頂いている

(震災以降の活躍について、どういう心境だったか)
最初は嫌だった。そのとき絶対つきまとうのが震災の話だった。被災地代表・・・「自分はただ好きでスケートやってきたのに、なんでこういうものを背負わされなきゃいけないんだろう?」という気持ちとともに、「でも僕にしかできないことなんだよな」っていう思いもあった。だから最初のうちは、「僕は被災地代表としてではなくて、日本代表の1人として、羽生結弦としてこれから挑む試合に出ます」ってずっと言ってた。ただ、そこからいろいろ試合を経て、たくさんの手紙を頂いて、今もすごく大事にしてることだけれど、僕が被災地に近くて、そういう出身の選手ががんばることによって、何か元気になって頂ければ、何か心が動くような演技ができれば。そういう思いを持ってやってたが、手紙とかをいろいろ読んでたら被災地の方々からエールを受けてて、逆に支えられていた。もちろん被災地の方々じゃなくても日本全国の方々から。

それがオリンピックまでずっと続いたと思うし、自分が何かをする立場じゃなくて、自分が好きなことをやって、結果を出そうと勝ちたいと思ってることが、皆さんにこれだけ支えられてるっていうのをその時非常に強く思った。一番大事なことだなと思う。誰かの為にやってるっていうのも非常に大事で、誰かのために、スケートでもスポーツでも勉強でも・・・何でもいいんだけど、それってすごく力のでることだと思う。

ファンの人がスケートをやってるわけではないし、ファンの人達が手紙出したからって、僕が直接手紙の分うまくなるわけではないし、結果が出るいうとわけではない。でも、そういう気持ちが僕を通して1つになれるっていうか。震災や原発や津波のことで悩んだり、地震で家が壊れてしまって住めなくなった方もたくさんいる。そういう孤独になった方々も含めて、西日本と東北・東日本というものが自分を通して1つになれる・・バラバラになってるのが、自分を通して1つになってくださってるのが一番嬉しかった。その頃も今も、オリンピックで金メダル穫れた時も、嬉しかったなって一番思えるものです。

(一番最初の神戸チャリティショーについて)
あの時は“白鳥の湖”をやって、今でも鮮明に覚えてるけれど、あれが今の僕のスケートをしようと思った原動力。多分これからも一生あの演技は絶対できない。あの時の自分の気持ちだからこそ表現できた。暗い所から飛び立っていくというのを込めた表現だったので、あれは自分の中でも特別。あそこで僕がもし神戸に呼んで頂けてなかったら、多分スケートをする時に絶対考えてたと思う。「自分がほんとにスケートしてていいのかな」って。あの神戸に呼んで頂いたおかげだと本当に思ってます。

ここで、2012年世界選手権の、SP終了後のインタビューと、FS終了後のインタビューが流れました。

(世界選手権初出場で3位について)
自分にとって世界選手権ってすごく特別な場所で、自分が小さい頃から憧れてた選手がそこで激しい戦いをしてた夢の舞台でもあった。そこに立ってそこで表彰台に上がるっていうことは、ほぼ夢が叶ったのと同じような体験だった。すごく嬉しかったのは覚えている。
(「キャー!」みたいな感じ?)
「キャー!」ですね。でもその時ショート悪かった。ショートが7位で、最終グループ入れなかった。4回転2回転になっちゃって、そのあとトリプルアクセルも微妙で、ルッツもパンクして。またルッツかみたいな。
(ショートが苦手な理由は?)
わからない。ショートの方が簡単だとは思うんだけど、ショート下手です。
考えすぎは結構ある。僕の考えでは、感覚とリズムと理論をうまいバランスでうまい具合に組み合わせなきゃいけないので、そのバランスが例えば1:1:1だったら、それが1:2:0.5とかになるともうバラバラになる。


(カナダに練習拠点を移したことについて)
世界選手権3位になったのをきっかけに、カナダに拠点を移した。
(カナダは)本当に良い環境です。特にクリケットは、選手のためっていう感じがものすごくある。会員制で結構VIPな方々もいらっしゃって、テニスもジムもプールもクリケットもカーリングもあり、いろんなことができる施設。そういう環境の中で練習できる自分は小さい頃は想像もできなかった。僕はホームリンクが2回なくなってる。泉のリンクでずっと練習していて、そこが経営難で潰れてしまって勝山に移った。荒川さんがトリノで金メダル獲ってトリノの会見で言ってくださったので、県とか市が動いてくれて泉が復活したので戻って、そのあとにまた震災があってなくなって・・・ということを経験しているので、練習環境のありがたみっていうのはものすごく感じてる。だから、これだけ練習に集中もできて、アップも自分がしたいようにできて、クールダウンとかも、トレーニングに関しても何でもできる施設なので、ほんとに練習環境って大事だなあと今ものすごく痛感している。


(なぜブライアン・オーサー氏だったのか)
練習環境を求めたっていうのもかなり大きな要因だけれど、ブライアン・・・というよりも僕は結構合宿とかアイスショーだとか試合の公式練習とかで上達することがものすごくある。
例えばアイスショーの練習中に4回転初めて跳べたりだとか、今までの4回転はブライアンか誰か先生に見てもらったとかじゃなくて、アイスショー中に跳べてる。トリプルアクセルも合宿中に跳べてる。そういう良いお手本がいる中でやりたいということを考えた時に、ちょうどその前の年に急成長してたハビエル・フェルナンデス選手がいる環境に行きたいなと。その環境に行けば、必然的にそのハビエルのジャンプが確率高くなった理由だってわかるし、それにつられて自分が練習できればもっとうまくなれるなと。


(仲の良い選手は?)
ハビとナムは結構いろんなことして遊んでるけど、僕はそれを見て「俺は遊ばねーぞ」って言って練習してる。
競争とかはあまりしない。ハビが例えば練習でフリーをノーミスしたとする。そういう時に限って僕が調子悪かったりする。そういう時、基本的にコーチが慰めてくれるんじゃなくて、ハビが慰めてくれるみたいな。で、逆もある。ハビエルがすっごい調子悪くて、僕がめちゃくちゃ調子良かったりしてると、コーチが慰めるというよりも、僕とかナムとかが「大丈夫だから。跳べてたじゃんこないだ」みたいな。

(ほんとに良いライバルでもあり、仲良い?) そうなんですよ。

(他に仲良い選手は?)
いますいます。ただ、名前言っても多分わかんないです。

ここで、ミヤケンさんと「教えて」「多分わかんないから」という押し問答がしばしあり・・・

て言われるとあんまりいないのかなあ? そんなにクリケットでキャピキャピしてるタイプじゃないんです。
日本ではあれ(キャピキャピ)になるんだけど、日本だからこそで。やっぱり練習環境じゃないから。
人格が違うっていったら変かもしれないけど、結構スケートに対して本気でのめり込んでる時の人格と、他のことやってる時のオンオフがすごい激しい。


(振り付け中でも、たまに声かけにくい時がある)
本気でやってますから。集中に入り込む時と、スケートにのめり込んでる時と、例えば同期がいて楽しい時とか、信成くんとめっちゃおもしろい話してたりとか、そういう時のテンションの差はものすごい激しい。

(移動中のバスとかでノブといつもはっちゃけてるが)
はっちゃけてる。基本的にノブくんがはっちゃけてるだけなんだけど。 最近なんかツッコミが強くなってきた。ノブくんが別にボケてるわけじゃないんだけど、ツッコまれるようなことばっかりしてるんで、ツッコんであげる。ツッコまないと帰れない。 (移動中のバスは)楽しいですね。

(2012-2013シーズンも大活躍だったが・・・)
ブライアンに変わって、グランプリ1戦目のショートで、世界最高得点をだしてる。それがすごく大きかったというか、それで僕の名前が売れたというか。自分でもびっくりした。衝撃的だった。自分のショートで、ジャンプはうまくいったが、完璧ではない部分もけっこうあったのに、95点でたので。

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テーマ : フィギュアスケート - ジャンル : スポーツ

2015/09/18 09:45 | 2015-2016 seasonCOMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

ケンジの部屋その3

こんにちは

第3回は深い内容でしたね。
ミヤケンプロと言えば、他にタイム・トラベラーもそうですよね?ビリーブも?AOIでフミヤとコラボしたTrue loveはどうでしたっけ?
仙台時代はずっと阿部先生のプロばかりで、某掲示板では他の振付師待望論が結構多かったんです。
初めて「花になれ」を観た時は、手挙げイナやバレエジャンプが素敵で、ああ、やはりミヤケンプロもいいなあ、と思いましたね~
でも、これだけJポップ的プロ(レクイエムは違いますが)が続くと、どれも似た感じになってしまって、正直、食傷気味です。
ところで、羽生君は「花になれ」を「震災前のやつ」と語っていますが、2012福井のFaOIが初披露でしたので、カナダへ行った後ですよね?何か思い違いでもしたのかしら?それとも、この曲が製作されたのが震災前という意味なのでしょうか?

神戸チャリティーの白鳥については、今まで羽生君は色々な場で語っていますが、今回は語る相手がケンジ先生ということで感慨も一入です。(ご存じだと思いますが、この演技に向かう羽生君をミヤケンさんが送り出すショットが写真集に載っています)
羽生君がスケートを続ける切っ掛けとなったあの演技会に、自分が居合わせてスタオベできたのは本当に仕合せなことだった、と改めて思いました。そして、出演しないかと羽生君を誘ってくれたミヤケンさんには感謝の気持ちで一杯です。

No:4494 2015/09/18 17:57 | あお #Q3cyE8.I URL [ 編集 ]

あお 様

あおさん、こんにちは。

>ミヤケンプロと言えば、他にタイム・トラベラーもそうですよね?ビリーブも?AOIでフミヤとコラボしたTrue loveはどうでしたっけ?

ご指摘ありがとうございます。訂正させていただきました。うっかりしてました。そうでした。他にもいっぱいありましたね。どれもFaOIのコラボ絡みですが。ヒロミゴーとのコラボだけ、振付カメさんでしたっけ。

>これだけJポップ的プロ(レクイエムは違いますが)が続くと、どれも似た感じになってしまって、正直、食傷気味です。

そうなんです。初振付の「花になれ」は確かにいいと思ったのですが、それ以降は、どのプログラムも同じような振付にみえる。またこの路線か・・・と私もいささか食傷気味です。これが今後もずっと続くのかと思うと・・・ちょっとブルーです(笑)

同じような路線の音楽を同じ振付師で・・・となると、既視感がでるのはしょうがないのかもしれませんが。
正直、ミヤケンさんは、高橋さんとか鈴木さんみたいな「濃い」系のスケーターとは合うと思うんですけど、結弦くんみたいなノーブル系とは合わないような。たぶん、ミヤケンさんの好きなタイプは、日頃のミヤケンさんの話を聞く限り、「濃い」系の方じゃないかと思うし。だからミヤケンさんが手抜きしてるとかは思わないけど。意外と引出し少ない人なのかしら・・・。

>何か思い違いでもしたのかしら?

私もそこんとこ引っかかりました。震災後じゃないの?と。曲が作られたのが震災前だという意味なのかな?

>自分が居合わせてスタオベできたのは本当に仕合せなことだった、と改めて思いました。

お~、生で見れたんですね~。うらやましい。その点に関しては、ミヤケンさんに本当に感謝ですね。でも、それはそれとして(笑)、もうミヤケンさんとのコンビはそろそろやめてほしいかな~(笑)

コメント、どうもありがとう♪

No:4495 2015/09/18 18:31 | みずほ #o/PXu/q6 URL [ 編集 ]

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