来季のルール改正について その2、ほか仙台のリンク事情など
昨日(11日)付けで、3つほど興味深い記事があったので、あげておきます。
まず、昨日記事でとりあげた、Sportivaのルール改正についての記事のつづきです。
「羽生結弦が有利になる」は本当か? フィギュア男子の30秒短縮(20180511 Web Sportiva)
大幅なルールの改正が行なわれることになりそうな来季のフィギュアスケート(正式には6月にスペインで開催される国際スケート連盟(ISU)の総会で決まる)。ジャンプの基礎点がこれまでよりも下げられたり、出来栄え点(GOE)の加減点がプラスマイナス3の7段階から、プラスマイナス5の11段階に拡大されるなど、採点に関するルールの改正のほかに、特に男子フリーが大きく変わる可能性がある。
演技時間が現行の4分30秒から4分に短縮され、これにともなってジャンプの数も8本から7本に減る。女子フリーと同じになるというわけだ。
この改正にはオッタビオ・チンクワンタ前ISU会長の意向が大きく働いたと言われる。イタリア人でショートトラック出身者であるチンクワンタ氏は、かねてから「なぜ、フィギュアでは男子だけ4分30秒でなくてはならないのか」という疑問を投げかけ、男子も女子同様に4分にすべきだと提案をしていた。さらに近年、ジャンプの高度化が著しい男子の負担軽減という側面もあるようだ。
演技時間が短縮され、ジャンプが1本少なくなると、どのようなプログラムになるのだろうか。日本スケート連盟の強化部長を務めた経験があり、現在も国際審判員として活動する吉岡伸彦氏は次のように予想する。
「ジャンプが8本から7本になると、おそらく一番簡単なジャンプを1本減らすことで対応することになるのではないでしょうか。例えば羽生選手のプログラムで言えば、ステップから軽々と跳んでいる3回転フリップのようなジャンプを跳ばなくなるわけです。それだけのことで済むといえば済むのです」
だが、時間が短くなるから負担が減るかというと、そうは言い切れないという。
「曲の中でストレスなくジャンプを跳べるような選手であれば、当然のようにこの変化に対応できると思いますが、構えてジャンプを跳んでいるような選手にとっては、30秒の演技時間がなくなることはすごく大きな影響を与えるかもしれません。トランジション(技と技のつなぎ)など、プログラム全体を見せる余裕がなくなってしまうからです。ISUが意図するように男子の負荷を減らす目的で演技時間を4分間にしても、4回転ジャンプを跳ぶ男子選手にとっては、実際には負荷がより掛かってくる可能性もあります」(吉岡氏)
一方、時間短縮で男子スケーターの迫力ある滑りやパワフルな演技という醍醐味が薄れるのではないかという心配もあるが、吉岡氏は「女子やジュニア男子は4分間でファンを魅了するプログラムを見せている」と言う。
「総合的に判断すれば、レベルの高い上手な選手にはさらに有利になり、力の差がつきやすくなると思います。音楽のなかでジャンプを跳べる選手が有利になるという意味では、フィギュアスケートとしては結果として、いい方向にいくのではないでしょうか」(吉岡)
さらに今回のルール改正では、演技後半のジャンプは基礎点の1.1倍の得点になるというボーナスルールに、何らかの形で制限を加えるという話も急浮上している。その背景には、五輪シーズンに鮮烈なシニアデビューを飾り、女王の座に上り詰めたアリーナ・ザギトワの最強プログラムが影響しているのは想像に難くない。
もともとこのボーナスルールは、前半に難しいジャンプを全部入れて、後半がスカスカになるようなプログラムになるのを防ぐためのものだった。そこに、得点増を狙って後半にすべてのジャンプを跳ぶ選手が現れた。プログラム全体にバランスよくジャンプが配されるという本来の目的からすれば、これもまた一種の逸脱だろう。
ザギトワのプログラムを「本来の”いいフィギュアスケート”からは少しずれてしまっているのではないか」と評価する吉岡氏は、「後半に跳べるジャンプの数を制限するか、例えば得点が1.1倍になるジャンプを最後の3本だけにするというようなことが検討されているようです」と言う。
こうしたルール改正が行なわれれば、ひとつひとつの要素の質を上げて、プログラム全体の完成度を上げる方向に向かうと予想される。来季はこれまで以上に見ごたえのあるプログラムを多くの選手が見せてくれることになるかもしれない。(辛仁夏)
結弦くんのように、助走レスでジャンプ跳べるスケーターはともかく、ボーヤンみたいにジャンプ前の助走が長いスケーターには影響あるかもしれません。クリケットで、そういう面も改善されるといいですね。
羽生結弦、“不調の時”も報道量が減らない理由とは〈AERA〉(20180511 AERAdot)
地元・仙台で行ったパレードでは10万人以上の人を集めるなど、シーズンのオン・オフを問わず注目される存在となった羽生結弦。彼がこれほどまでに人気を集める理由は、どんなところにあるのだろうか。
悪いときや苦しいときを見せてきた。それが、フィギュアスケート男子の羽生結弦がここまでの人気を得た大きな理由の一つだ。
苦しんでいる人の姿は、他者の印象に残る。悪いときにどう振る舞うのかを、人はよく見ている。2014年ソチ五輪で金メダルを獲得し、フィギュアスケートファン以外にも知名度を高めた直後の14~15年は、羽生にとって良くないことが立て続けに起きたシーズンだった。
11月のグランプリ(GP)シリーズ中国杯では、フリースケーティング(FS)直前の練習で他の選手と衝突した。頭に包帯を巻いた姿で演技を始めると、5度転倒。その後、キス&クライで泣き崩れた。
その後、帰国した羽生は車いすで空港の到着ロビーに姿を現す。スポーツ選手がけがをした場合、「REST(休むこと)」が重要だ。足を負傷した場合は極力、使わないようにするために車いすを使うこともある。とはいえ、多くの人には車いす姿はショックだったかもしれない。
その直後に出場したNHK杯で4位になり、表彰台を逃した。それら一連の出来事は、メディアで繰り返し伝えられた。
そんな悪いときでも、羽生はメディアに対してよく話をする。悪かったとき、失敗したときのほうが面白いことを言うので、報道量が減らない。うつむいて何も語らないよりも、記事は大きく目立つ扱いになる。
NHK杯では、出場したことに後悔はないかと問われた。羽生は「正しかったと思う」と、きっぱりと言った。「逆境は嫌いじゃない。弱くなっている自分はほんとに嫌い。でも、弱いというのは強くなる可能性がある」という印象的なフレーズも残した。
そのシーズン、痛みを感じ続けていた腹部を全日本選手権後に精密検査すると、「尿膜管遺残症」と診断され手術を受けた。療養期間を終えて練習再開したと思ったら、右足首を捻挫した。
日本国民の誰もが知る五輪王者は、苦境の中で3月の世界選手権に出場し、ショートプログラム(SP)で首位となり、総合でも銀メダルを獲得した。
平昌五輪シーズン最初の試合だった17年9月のオータム・クラシックでは、SPでいきなり世界歴代最高得点を更新する112. 72点を出した。翌日のフリーでは、一転、8本中5本のジャンプでミス。このときも、フリー後のほうが多弁で、感情を隠そうとしなかった。
フリーを演じ終えた直後の氷上で「もう、しょうがねえっ」とつぶやいたことを明かした。大会運営の担当者が、報道陣に「最後の質問」と告げても、羽生自身が「あと2問」というしぐさをして質問を受け付けた。そして、「悔しさという大きな収穫を手に入れることができた。強い自分を追いかけながら追い抜いてやろうと思う」「いい時と悪い時との差が激しいのは、スケート人生での永遠の課題。ガラスのピースを積み上げて、きれいなピラミッドにするんじゃなくて、粗くてもいいから頂点まで絶対にたどり着けるような地力も必要だ」と、独特の言い回しが飛び出した。
羽生は、他にも多くの苦境を経てきたことが何度も伝えられている。11年3月11日の東日本大震災で被災し、練習拠点のリンクが一時閉鎖。全国のアイスショーを巡り、葛藤しながら練習を重ねた。16年4月には、左足甲付近のリスフラン関節靱帯(じんたい)の損傷が見つかり、16~17年シーズンで出遅れた。難しいジャンプに挑むので、大崩れしてしまうことも珍しくなかった。
そして、平昌五輪シーズンは、17年11月のNHK杯開幕前の公式練習で右足首を負傷して、12月の全日本選手権も欠場。18年2月、平昌五輪は、4カ月ぶりの実戦という状況だった。
ファンは選手が苦しむ姿を見たとき、一緒に苦しい気持ちになるものだ。苦しむ姿を見聞きしたり、悔しがって涙したことを知ったりすると、その選手をぐっと身近に感じ、次の試合では一層応援したくなるだろう。
選手やチームが強くて、プレーのレベルが高く、有名なスポーツほど、多くの観客を引き寄せて会場も熱気に包まれる。ところが、そんな条件が整わなくても熱心な応援が見られるスポーツ大会が、運動会だ。子や孫や親類、その友達を熱心に応援してしまうのは、泣いて笑って、一緒に成長してきた身近な存在だからだろう。羽生の苦しみから立ち上がる姿は、全国に“親類”のように応援するファンを増やした。
トップスポーツでは、全国レベルの人気を獲得するには、まずは有名になる必要がある。それにはテレビメディアの影響力がやはり大きい。ただ、それらは偶然に左右されるし、長続きしない。有名になったうえで、プラスαがある時に、スポーツ選手とチームの人気に火がつく。
プラスαは、見た目がいいこと、発する言葉が面白いこと、スポーツ以外にも共感できる取り組みをしていることなどがある。羽生は見た目もいいし、負けたくない気持ちをむき出しにする点でも楽しませてくれる。そして何より、負けた、失敗した、つらい、苦しいといった物語に事欠かない。
羽生は、そんな人気を得る振る舞いが自然とできるスポーツ選手の一人なのだ。(文中敬称略)(朝日新聞オピニオン編集部・後藤太輔)
後藤さん、朝日のスポーツ担当を外れたそうですが、引き続き、結弦くんの記事を書いてくださってるんですね。
思うときがあります。もし、結弦くんがソチ五輪後、健康で怪我もなく、順風満帆で絶対王者として無敗記録を更新し、その流れのまま平昌五輪で二連覇を達成していたら・・・これほど、盛り上がっただろうかと。もちろん人気者ではあっただろうけど、ここまでのカリスマ性を持ち得ていただろうかと。
五輪シーズンに、それも五輪を3ヶ月後に控えた時期に大怪我という大ピンチ。今となっては、五輪二連覇をさらに盛り上げるために神様が用意したお膳立てだったとしか思えない。それも、ジャンプが間に合ったのは、五輪のギリギリ直前。こんなヒヤヒヤ手に汗にぎる展開、非現実すぎて確かに漫画でしかありえない。全世界が固唾を飲んで見守る中、見事二連覇達成。しかも、それが「冬季オリンピック金メダル1000個目」にいたっては、「出来すぎ」と編集者にプロットを却下されるレベルでしょう。
内村さんが「これで二連覇したらカッコよすぎる」とコメントしていましたが、仁川空港に到着してからの、羽生フィーバーは異様なものでした。会見の対応も見事で、「アスリートの中でも際立ってメディアジェニック」「羽生結弦はメディアの中で生きている」と言われるゆえんでしょう。
後藤さんのいうとおり、オフシーズンになっても、結弦くんについてのニュースやコラムは全く絶えません。ブロガーとしては、記事のネタに困らないどころか、追いきれない、取り上げきれないのが現状です。タイムリーな話題を優先してるので、また仙台旅行レポ止まってるし(汗)
【新東北特派員報告】フィギュア王国復活へ 仙台市、公設リンクの夢(20180511 産経新聞)
東日本大震災の被災地、仙台市が日本のフィギュアスケート発祥の地であることはよく知られていない。
伊達政宗騎馬像のある青葉山の裾に五色沼と呼ばれる小さな沼がある。明治時代、仙台市在住の外国人が凍った沼で地元の子に教えたのが始まりといわれる。
フィギュアの母なる地は羽生結弦選手を生んだ。高校まで仙台市の民間リンクを拠点に選手生活を送っている。
このリンクはトリノ五輪優勝の荒川静香さんも小中高時代に練習を重ねた。2人の五輪王者を育て、「荒川リンク」「羽生リンク」と親しまれている。
平成12年の冬季国体でこのリンクで練習した選手が成年男女、少年男女の計4種目で優勝を独占し、「フィギュア王国宮城」の名を高める原動力になった。
「仙台だけでなく県内、東北全体的にフィギュアスケートを本気でやって世界のトップを狙える設備は整っていないと思います」
4月に仙台市であった平昌五輪優勝パレードの記者会見で、羽生選手は地元に十分な練習環境が整っていない現状を残念がった。
羽生リンクは実はリンクが狭い。スピードに乗り切れず、ジャンプの練習に限りがある。通年滑走できるリンクは仙台市ではここだけで、フィギュアのほか、スピードスケート、アイスホッケーが併用し、練習時間が十分に確保できない。
経営も安定せず、事業譲渡を重ねている。長期閉鎖の時もあり、選手と指導者が流出した。羽生選手も拠点をカナダに移す。
宮城勢の国体優勝も19年の鈴木明子さんを最後に途絶えている。王国の称号は過去のものになり、その座は浅田真央さんらを輩出した愛知県に譲り渡した。
「リンクがもっとあれば可能性は広がるが、現実的にはちょっと…」
荒川さんもトリノ五輪後の記者会見で地元で指導者になる可能性を問われ、否定的な考えを述べている。
宮城県には公設リンクがない。6カ所の岩手県、5カ所の青森県と比べて見劣りする。宮城県の村井嘉浩知事は新設に消極的だ。
財政難の折、県がハコモノ建設に二の足を踏むのは無理もない。いざ造ろうとなっても地元経済界に「民業圧迫」と反発されることもあり得る。他競技団体からは「不公平だ」と責められるかもしれない。
それでも新設に踏み出していい。個人的にはそう思っている。
フィギュアスケート生誕の地であり、2人の世界覇者を出した。「フィギュアのまち」で身を立てるのにこれほどうってつけな所はない。
市民の多くは支持する気がする。そうでなければ羽生選手のパレードに10万8000人は集まらない。
どうせ建てるなら国際大会を呼べる立派な施設にしよう。世界的な指導者を招き、次のチャンピオンを育てよう。
被災地は暗い話が多すぎた。身内が死んだ。家が流された。メディアは被災者を元気づけようと努めて前向きな話題を取り上げるが、被災地は今も圧倒的に悲しみに支配されている。
夢を語ろう。
明るい話をしよう。(伊藤寿行)
昨年の11月に写真展目当てで仙台に行ったとき、現地の人とたまたまお話する機会があったのですが、「仙台のコーチが、愛知に引き抜かれていってる。世界で活躍する選手は、もう宮城からはでないのではないかと心配されている。」と言っておられました。その人は、結弦くんの写真展があることも知らなかったようで、特にスケート好きとか結弦くんのファンとかではなかったので、かえってその言葉が印象に残っています。確かに、実際にみたアイリンのリンクはそれほど広いわけではありませんでした。そんなリンク環境の中で、結弦くんは、ノービス・ジュニアの頃から、あれだけの活躍をしていたのですね。
宮城県は、唯一フィギュアスケートで金メダリストを生んだ県です。それも3つもですよ。
公営リンク作ってもバチは当たらないと思います。県民も反対しないでしょう。
結弦くんがせっかくここまで盛り上げてくれたのだから、その機運をなんとか生かしてほしいですね。
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2018/05/12 09:25 | その他(2017-2018) | COMMENT(0) | TRACKBACK(0) TOP
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