マイレピの羽生語録 ~ゆづの素敵な6つの言葉
マイレピが更新されました。
羽生選手は、インタビューで自分の言葉で丁寧に語るところが魅力のひとつです。今回のYUZU DAYSでは過去のインタビューから、羽生選手の「言葉」を6つピックアップ。オリンピック2連覇の背景に、このような魅力的な羽生選手の言葉がありました。お楽しみください!
“スケートを始めた頃から「オリンピックに2回出て、2回とも金メダルを穫る!」と、いつも母に言っていました。”
2015 年インタビュー 「羽生選手が語る、成長の軌跡[ 幼年~ジュニア編]」より
――羽生選手はフィギアスケートを始めた子供の頃から、オリンピックで2 回金メダルを穫ると、お母様によく話していたそうです。今回のオリンピック2 連覇は、子供の頃からの夢を有言実行したんですね!
“自分が「信じられるもの」があればいい。”
羽生選手:「様々な環境の中、例えばリンクによって氷の質感は違います。その条件の中でジャンプを跳ぶとき、どういうふうに跳ぶ感覚をつけるかというのは本当に経験になってきます。最終的には自分の感覚なので、誰かに教えてもらえるものでもなく、自分が信じられるかどうかです。これから先どれだけ自分が『信じられるもの』の経験を作っていくか。それが自分の課題だと思います。」
2017 年インタビュー「羽生選手が語る進化の理由『 目指す強さについて』
“フィギュアは多面性のあるスポーツ。伸び悩んでも、他のことで進化できる。”
羽生選手:「フィギュアってものすごく多面性のあるスポーツなんです。例えば、ジャンプに伸び悩んだとしても、ステップやスピン、表現力を磨けばいいわけで、探そうと思えば成長できるところはいくらだってあります。自分で限界を決めない限り、どこまでも成長できる。この先、年齢を重ねてジャンプが跳べなくなったとしても、表現力はもっと磨かれているはずだから、違う意味でうまくなっているわけです。そう考えると、僕はまだまだ進化できる。」
2017 年インタビュー「羽生選手が語る、スケートへの想い」より。
――私たちが、人生の中で、何かに悩んだり行き詰まったりしたとき、前に進み方のヒントを羽生選手は優しく教えてくれた気がしたインタビューでした。
“今まで自分が感覚として感じていたことや現象としてあったことが、科学的根拠として存在するということを学べたり、裏付けができました。”
羽生選手:「もともと認知心理や臨床心理といった心理学や、人体の神経系や感覚器官について興味があって、普段からそういう本を読むことが多いですね。最近だと睡眠についても本やネットでいろいろ調べたり、今気になっているセルフケアや体の使い方についての本を読んでみたり。たぶん小さい頃から緊張やリラックスについてずっと考えてきたので、そういう分野がより身近なのだと思います。それに、僕の場合は本で読んだことをスケートで実践する機会もたくさんあります。本や学校で学んだことと、今までの経験を合わせて、自分なりに見えてきたこともありました。僕の場合は本で読んだことをスケートで実践する機会もたくさんあります。本や学校で学んだことと、今までの経験を合わせて、自分なりに見えてきたこともありました。今まで自分が感覚として感じていたことや現象としてあったことが、科学的根拠として存在するということを学べたり、裏付けができたりして、それがすごく面白いですね。」
2017 年インタビュー「YUZURU'S プライベート後編『オフタイムの過ごし方』」より
―-2016 年世界選手権終了後、羽生選手はケガの治療とリハビリで2 ヶ月間リンクに上がれない期間がありました。「リンクに上がれない時間をどのように過ごしていましたか?」と伺ったときに「おかげさまで勉強がはかどりました」とい言葉とともに、上のように答えていただきました。リンクに上がれなくても、常に進化している羽生選手。この時の言葉の中に、今回の平昌2018冬季オリンピックの「逆境からの劇的勝利」の理由が、垣間見ることができた気がしました。
“トロントの実家”
羽生選手:「カナダ(トロント)の家は、家族全員が一緒でなくても、“トロントの実家”というと変ですが、“自分の家” だという安心感があります。それは母親が、トロントでずっと側にいてくれて、料理の味だったり、洗濯の香りだったり、そういった、僕の周りの『空気感』のようなものを母が作ってくれるからだと思います。」
2017 年インタビュー「羽生選手が語る、母への感謝の気持ち」より。
――スケートをするためにカナダのトロントへとお母様と生活拠点を移したのは、2012 年のことでした。6 年間、羽生選手と共に歩んだお母様の愛情の深さを感じるとともにに、「海外暮らしでも、まるで仙台にある実家にいるような安心感」があることを“トロントの実家” と表現した羽生選手は言葉の選び方がとても素敵だと思います。
“祈るような気持ちで見守ってくれる。それがわかるから、母も僕と一緒に戦ってくれているんだなと感じます。”
羽生選手:「母親の立場でスケートを観るのって、すごく緊張すると思うんです。出ているほうは、試合でやることがある程度決まっているわけなので、緊張より集中のほうが強くなるんです。でも、応援している側の緊張感というのは、胃が痛くなるくらいだと思います。祈るような気持ちで見守ってくれる。それがわかるから、母も僕と一緒に戦ってくれているんだなと感じます。」
2017 年インタビュー「羽生選手が語る、母への感謝の気持ち」より。
――羽生選手は別のインタビューでこのようにも語っていただいています。
羽生選手:「フィギュアスケートというスポーツは、氷上でひとりでするものですが、大きな試合になればなるほど、ひとりの選手をサポートするメンバーが大勢います。氷上に辿り着くまでに体を作ってくれる人がいて、教えてくれるコーチがいて、チームの関係者の方たちがいる。そして、生活全般から試合にいたるまでのすべてを支えてくれる母がいて、会場でエールを送ってくれる観客の皆さんがいる。そのすべての人たちが同じ方向に向かって僕と一緒に戦ってくれている。チームで戦っているという感覚があるんです。」
2017 年インタビュー「羽生選手が語る進化の理由『更なる高みに向かって』」より。
――「支えてくれる全ての人がチーム」という、胸が熱くなる羽生選手の言葉でした。
この先、年齢を重ねてジャンプが跳べなくなったとしても、表現力はもっと磨かれているはず・・・昨年のコンティニューで、結弦くんはジャンプを封印した演技を披露しました。今の結弦くんはジャンプを飛ばなくても十分観客を魅了することができることを、はからずも証明しました。現役時代はジャンプは最重要なエレメンツですが、プロスケーターになればそれほど重要ではなくなります。4回転どころか、3回転のコンビネーションジャンプも跳ばなくなるのが普通。むしろスケーティングの質や個々のスケーターの世界観の魅力の方が大事になってきます。結弦くんの言うところのフィギュアスケーターの可能性というのはそういう意味では年齢関係なく広がっていくものでしょう。私は、結弦くんはプロスケーターとしても革命児になってくれると確信しているので、引退後も楽しみで仕方ないのですよ(笑)
結弦くんのお母様について、城田憲子さんが「フィギュアスケート男子ファンブック クアドラプルアクセル 2018」の中で、こんなことを語っておられました。
彼が偉業を成し遂げられた背景には、ご家族の支えが大きかったことを忘れてはいけません。彼はよくケガをし、風邪をひくなど体調を崩します。決して身体が丈夫とはいえません。そんななかで、トロントで彼の生活を支えたお母様はたくさんの苦労をされたと思います。羽生自身の金メダルですが、その半分はお母様の献身によるものといって過言ではないことを、申し添えたいと思います。
結弦くんのマイレピでの言葉を裏付けるものだと思います。彼のフィギュア人生を7年近くみていたファンからすると、一番メンタルが強いのは、もしかしたら結弦くんのお母様なのではないかと思ったりします。
「支えてくれる全ての人がチーム」という想いは、国民栄誉賞授与のときに「皆さまとともに取れた賞という気持ちがあり、僕個人の気持ちを出したくない」と記念品を辞退したことにも表れていますね。
結弦くんのすごいところはブレないこと。彼の語る言葉はどれも常に1本の糸に繋がっています。子供の頃に語った言葉ですらきっちり有言実行。これは本当にすごいことです。
ロッテオンラインショップ撃沈で嘆きの声が溢れている中、嬉しい記事をUPしてくださったマイレピさんに感謝です♪
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2019/01/10 09:40 | スポンサー | COMMENT(0) | TRACKBACK(0) TOP
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