ゆづと山田真実コーチとの絆 その2 ~スポーチ紙記事より
四大陸まで10日以上あるので、書ききれなかった話題を少しずつ蔵出ししていけたらと思います。
5ヶ月も放置してましたが、昨年の24時間テレビの山田真実コーチ記事の続きです。
下書きはほぼできていたのですが、次から次へと情報が入ってくるので、後まわしになっていました。今更ですが、興味のある方はお付き合いください。
「その1」はこちら。
→ ゆづと山田真実コーチとの絆 その1 ~every動画と「羽生結弦-SPIN THE DREAM」より
「その2」はスポーツ新聞の過去記事です。
山田さんの中に、羽生との出会いは衝撃として残っている。4歳の少年はヘルメットをかぶり、肘あてと膝あてを着用したまま、氷に向かって跳んでいった。氷を恐れることなく、ダッシュと転倒を繰り返していたという。https://t.co/Zn3w0DjVkc
— みずほ (@traveler_mizuho) August 24, 2019
【羽生結弦伝説】〈上〉小学2年生まで担当の山田真実コーチ「走って転んでまた走って」
フィギュアスケート男子で66年ぶりの五輪連覇を成し遂げた羽生結弦。スポーツ報知では2回にわたる緊急連載で、スケートとの出会いなどに迫ります。第1回は4歳から小学2年生まで仙台市でコーチを務めた山田真実さん(44)。
山田さんの中に、羽生との出会いは衝撃として残っている。4歳の少年はヘルメットをかぶり、肘あてと膝あてを着用したまま、氷に向かって跳んでいった。「うわあ、って走っていって転んで。何も言わずに立ち上がって、また走って」。氷を恐れることなく、ダッシュと転倒を繰り返していたという。
「その時点で違うと思った。普通はリンクを走ることはしない」。多くの子供は最初は立てない、歩けない、滑れない。だが羽生は走った。「バランス感覚が優れているから走れるし、転んで立つこともできる。小さい子にはまず転んだ時にどうやって立つかを教えるけど、それも全部すっ飛ばして自分で勝手に立ちました(笑い)」
山田さんは、運動選手にとって大切なことに「怖がらないこと」を挙げる。「怖がっちゃうと、練習しても技術に制限ができてしまう。それがなかった」。半回転ジャンプで数か月、1回転ができるようになるまで、早い子でも半年かかるが「教えたらもうできていた。跳び方はぐちゃぐちゃだけど、回転はちゃんと足りていた。この子、すごいって驚きました」
0回転、半回転、1回転とジャンプ指導は進んでいく。遊びでシングルアクセル(1回転半)を跳ばせたせたところ、初めてで回った。2回転ができるようになった後「ダブルアクセル(2回転半)やってみたら?」と勧めると、一発で回った。「回転の感覚がすごかった」。軸が乱れようが、とにかく回った。
初めて宮城県大会に出場したのは5歳の時。演目は「草競馬」だった。滑り始めるとロックミュージシャンのように頭を振り続けた。大人顔負けの表情をつくり、自分の世界に入っていった。「彼独特の世界をつくるのが昔から上手でした」。この日の演技をテレビ観戦した山田さんは「何事もなく滑り切れて良かった。ソチより平昌の方が重みのある金メダルだったと思います」と感動していた。(高木 恵)
こちらにも山田コーチのお話が載っています。
— みずほ (@traveler_mizuho) August 24, 2019
「自分の世界に入り込み、音楽を表現する不思議なスター性があった。でも全然言うことを聞かなかった」
羽生 たまたま始めたフィギュア、幼稚園時代から見せた片鱗 ― スポニチ Sponichi Annex スポーツ https://t.co/h8LJy7klNF
羽生 たまたま始めたフィギュア、幼稚園時代から見せた片鱗(2014/02/16)
ソチ五輪フィギュアスケート男子
SPで史上最高点を叩き出し、初出場の大舞台で鮮やかに勝ち切った羽生。短期間で驚くべき進化を果たし、頂点まで駆け上がった氷上のプリンスの成長のドラマを3回の連載で紹介する。
羽生がスケートを始めたのは4歳の時だった。98年に長野五輪が行われ、冬季競技の注目度が高まり、フィギュアスケートもブームになっている頃だった。77年世界選手権銅メダリストの佐野稔氏が開いていた仙台市のスケート教室で、4歳年上の姉がレッスンを受けていた。「弓の弦(つる)を結ぶように凜(りん)とした生き方をしてほしい」という両親の願いを込めて名付けられた結弦は、姉を見てなんとなくスケート靴を履いた。「たまたま始めた感じですね」と羽生は振り返る。
天賦の才は、早くからその片鱗(へんりん)を見せていた。幼稚園児にして小学生が跳ぶ1回転半ジャンプを習得。スケートを始めて2年足らずで、2回転サルコーまでこなす驚異的な成長を見せた。何度転んでも怖がらない、無鉄砲な性格が幸いした。
最初に指導した山田真実コーチ(40)は、「自分の世界に入り込み、音楽を表現する不思議なスター性があった。でも全然言うことを聞かなかった」と苦笑いを交えて振り返る。レッスン中は言うことを聞かずに友達と騒いでばかりだったという。サボっては、両親から「やりたくないのならスケートをやめなさい」と怒られたこともある。
小学2年の時に行われた、02年ソルトレークシティー五輪。ロシアのヤグディンとプルシェンコの激突を見て、夢舞台への憧れを抱いたが、五輪を意識して年齢を重ねるうちに、スランプに陥った。周りが次々と自分のものにしていく、3回転ジャンプが跳べない。「同期の中で僕が一番、3回転をきれいに跳ぶのが遅かった」。ノービス(10~14歳)の大会では、全く跳べずに号泣したこともある。
ジャンプの天才は一転、劣等生に転落した。「みんな跳べてる。なんで僕だけ跳べないんだ!」。悔しくても、どうにもならなかった。「体の成長が遅くて、切れもなかった」。ジャンプの精度が増してきたのは、体が出来上がってきた小学5年の頃。小学校卒業までに3回転は全てマスター。小学校の卒業文集に書く将来の夢はもう、決まっていた。「五輪で金メダルを獲る」と。(特別取材班)

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2020/01/22 09:20 | クリケット・恩師 | COMMENT(2) | TRACKBACK(0) TOP
コメント
一言お礼が言いたくて
はじめまして!
いつも有り難く拝読させていただいております。
もう、ブロガーさんのご意見に100%同意いたします。
私の気持ちを代弁して下さっているように嬉しいです。
いつも確固たる信念をもって深い愛情で羽生選手を応援していらっしゃるブロガーさんに心から感謝し、一言お礼が言いたくて今日はお邪魔いたしました。
色んなファンの方がいらして、それぞれの仕方で羽生選手を応援されていることに何ら問題はないと思いますが、アンチに対して毅然と対処していこうとされているファンの足を引っ張るような行動は明らかにおかしいと思わざるを得ません。
「声を上げてくれてありがとう」と言ってくれた羽生選手に対して、私たちファンは自分に出来る形でしっかり応援していきたいと思います。通報したり、抗議メールを出したりできなくてスルーしている人は少なくても、行動してくれる方々を批判してほしくありません。
本当にいつもありがとうございます。
大変な事も沢山あると思いますが、これからもよろしくお願いいたします。
No:12040 2020/01/22 13:20 | エステル #- URL [ 編集 ]
エステル 様
エステルさん、はじめまして。
>私の気持ちを代弁して下さっているように嬉しいです。
ありがとうございます。
そう言っていただけると励みになります(^^)
>ファンの足を引っ張るような行動は明らかにおかしいと思わざるを得ません。
羽生ファンは母数が膨大なので、いろんなファンがいます。自分の正義は他者の正義とは限りません。だから思うところはあったとしても、それを他者に強制するべきではありません。スケオタにはそれがわからない独善的な人が多くて困ります。
>行動してくれる方々を批判してほしくありません。
行動しなくてもいいんです。お花畑でもいいんです。ただ行動している人の足は引っ張ってほしくないですよね。アンチの思うツボになってしまう。
>これからもよろしくお願いいたします。
温かいお言葉嬉しいです。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
コメント、ありがとうございました♪
No:12046 2020/01/23 15:27 | みずほ #o/PXu/q6 URL [ 編集 ]
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