マッシさん「採点システムが機能していれば羽生は絶対に負けない」、伊「ジャパンウィーク」詳細、ゆづと玉三郎さんの共通項とは

今日はマッシさんとイタリアの「ジャパンウィーク」の話題を。

このマッシさんの動画をとりあげるの忘れてました。先月終わりころの動画ですね。



採点システムは機能していない。完璧なシステムなら、公正さと2つのスコアのバランスに基づいて、羽生はネイサン・チェンに決して負けない。絶対に! ありえないことだ。それなのに彼は負けてしまう。それは、採点システムが機能していないからだ。

マッシさん、よくぞ言ってくださいました!!
私達羽生ファンの声を代弁してくださってありがとう。そう、公正に採点されていたら、今でも結弦くんは無双していたはず。PCSもGOEも全く機能していない。その上、米国選手を勝たせるためのルール改悪。羽生結弦にだけ限定で適用されるシリアスエラー。

マッシさんが言っておられる至極当たり前のことを、日本のメディアもOBOGも誰もいってくれないことが情けない。日本はフィギュア界までアメリカの犬なのか…。


さて、イタリアで開催されたジャパンウィークでのマッシさんの講演が終わりました。
この記事の続報になります。
http://bltraveler.blog63.fc2.com/blog-entry-4514.html



マッシさんの講演を体験された現地さんのご報告。


エレナさんからはお写真も。


惑星ハニューさんからの詳細な現地報告です。


以下、惑星ハニューさんのブログから特に印象に残ったところを抜粋。

マッシさんが動画担当者が真っ青になるほど喋りまくったため😅、編集に時間がかかり、公開用の動画が出来上がるまでにはまだかなりの時間を要するそうで、その後、翻訳して字幕を挿入する時間を考慮すると、動画が公開されるのはまだまだ先になりそうです。

コロナでなければNHKも取材に来るはずだったそうです(残念!)

同じ日のいわゆるオープニングイベントでは、前述のジョルジョ・アミトラーノ氏のプレゼンテーションで、歌舞伎史上最も偉大な女形、五代目玉三郎の世界を描いたダニエル・シュミット監督の映画「書かれた顔」(1995年)が上映されました。

フェスティバルのオープニングイベントが玉三郎、クロージングイベントが羽生結弦だったのは、日本を代表する2つの美、坂東玉三郎で開幕し、羽生結弦で締めくくりたい、という主催者の意向によるものでした。


以下は玉三郎さんのお言葉。

僕は言いたいことがない
言いたいことがないから踊ったり芝居したりしている
そこで見てくれることが僕の一番言いたいこと
こうやって聞かれると自分に起こった感情とか魂とか宇宙的とか霊感というものをとにかく伝えたい時に、言葉を選びながら順番にモンタージュして言うと、何となく伝わるためにその言葉があるだけで、本当は言葉は二次的なもの


結弦くんもよく言ってますね。「自分は言葉のプロじゃないから、言葉で伝えるのは苦手。フィギュアスケートでこそ、自分の感情や想いを伝えることできる、本当の自分を表現することができる」と。


玉三郎さんと結弦くんの到達した次元は、世阿弥のこの言葉にも通じると思う。


お二人とも、自分が極める道にゴールはないと思っているはず。玉三郎さんも結弦くんも、お二人の生み出した作品は後世に残り、その映像とともに伝説になるでしょう。結弦くんはアスリートだけれど、もはやアスリートとしてだけ語ることはできない次元にいる。先々、いつかアスリートとしてのピークを過ぎたとしても、アーチストとしての道には到達点はないのです。

玉三郎さんは「人間国宝」で、結弦くんは「国民栄誉賞授与者」で、フィギュア界で「GOAT」と呼ばれる存在。おのおのの世界で頂点を極めています。でももうひとつ、お二人に共通するのはこれだと思う。

性別:坂東玉三郎
性別:羽生結弦


お二人とも男性だけれど、性別を超えた美の持ち主です。結弦くんも「男子スケーターは男らしい演技を」「女子スケーターは女らしい演技を」というフィギュアスケート界のジェンダーステレオタイプの価値観に革命をおこした存在です。

日本には女性が男性を演じる宝塚歌劇団があり、もっと昔から男性が女性を演じる歌舞伎が存在した。どちらも国民の人気を得ている。女性が男性を演じ、男性が女性を演じたとしても、日本には偏見はない。そういう意味では、芸能の世界では、日本はジェンダーレス文化にとても理解がある土壌なのだと思います。

私は子供の頃は阪急宝塚線地域に住んでいました。宝塚歌劇はとても身近な存在で、中学1.2年の頃は毎月観に行っていた。受験で中3から離れたけれど、2年間ほどはかなりハマっていました。

玉三郎さんも大好きで、若い頃は壮絶なほど美しかった(今もお綺麗ですが)。何度か舞台もみたことがある。思えば、性別の枠を超えた存在に惹かれる傾向は子供の頃からあったようです。

その後BLにハマり、今羽生結弦にハマっていることを思うと、自分の嗜好は子供の頃から一貫してるなと思います(笑)


少し先になるようですが、マッシさんの講演の翻訳付きのネット公開がとても楽しみです。
コロナ禍じゃなかったらNHKが特集組んだかも…と思うととても残念だわ。


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2021/10/07 11:35 | 海外情報COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

重力から解放される瞬間

みずほさん、ご無沙汰しております。
パソコンが故障しまして、買い替えて、
さまざま復帰するのに結構かかってしまいました。
今、浦島状態を抜け出すべく頑張ってますw

だいぶ前の記事へのコメントですいません。
ジャパンウィークの記事もまだ斜め読みなのですが
大好きな玉三郎さんが取り上げられていたので。

数年前、NHKで玉三郎さんの各演目を取り上げた
シリーズの番組があったのですが、
これはその中での印象的な言葉を書き留めておいたものです。


「重力に一生縛られていた人間が、重力から解放される瞬間を共有するのが
『踊る』ということの大きな意味でもあるのではないでしょうか。
なにか重力を感じない夢幻的世界、夢のような世界、非現実的空間に
(演者と観客)お互いが居合わせたという清涼感というものが
舞踊には一番大切な気がします。」 坂東玉三郎


これを聞いたときやはり一番に思ったのが羽生さんのことでした。
「鷺娘」などを見るとその佇まいにも羽生さんを思い浮かべます。

そして世阿弥の「初心忘るべからず」は、
図らずも奈々美先生がご褒美にプレゼントしたという
iPod(だったと思います)に添えられた言葉だったのですよね。


また世阿弥の伝書のひとつで「却来華」(まだ読んでないですw)
に出てくる「向去却来(こうこきゃくらい)」
という言葉があるそうなのですが
「向去却来」は禅用語とのことで世阿弥はその言葉に依りながら
能の到達地点を示そうとしているそうで、
精進、至高に至ってのち、技を以前の難度に戻しながら、
さらに上の境地を目指す、といったことを言っているらしいです。

羽生さんは4Aを目指しているのでまだ「向去却来」ではなさそうですが
「いつかアスリートとしてのピークを過ぎたとしても」
「上達を続け」る人なのだろうと思います。

No:16161 2021/10/14 16:03 | jade #92.l/qwY URL [ 編集 ]

jade 様

jadeさん、こんにちは。

「初心忘れるべからず」…これを実行し続けているからこそ、一般的なフィギュアスケーターのピーク年齢を過ぎても成長し続けられるのだと思います。玉三郎さんもですが、イチローも分野は違いますが、似てるなあと思います。求道者としての美学も、群れることを好まないところも。

坂東玉三郎さんも梨園の出身ではなく、歌舞伎の枠を超えた美の世界を構築された。結弦くんも派閥外の選手で、フィギュアスケートの既成の概念を変えました。

>「いつかアスリートとしてのピークを過ぎたとしても」

ランビや織田さんや荒川さんは現役のときより今の方が「表現者」として上手いです。プロになればクワドが何本跳べるかは関係ない。ルールに縛れることがなくなったとき、羽生結弦がどんな世界に連れていってくれるのか、それもとても楽しみだなと思ってます。彼はプロになっても革命児になると確信しているので。

コメント、どうもありがとう♪

No:16167 2021/10/14 23:43 | みずほ #o/PXu/q6 URL [ 編集 ]

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